2010/09/16

凛の会事件の被告と検察

「私は泣かない、屈さない」村木厚子(文芸春秋 10月号 p.94-115)を読みました。自分を苦しめたことを書いているにもかかわらず、読んだ後もさわやかさが残るのは、この人の持っているものの表れなのでしょう。
事実の追及が中途半端な若い検察官を、批判は抜きにして、大きな目で見ている様子にも、好感がもてました。
途中、保釈金の仕組みをネットで調べたりりして、少し利口にもなりました。

はじめに仮説を立て、取り調べでその検証をするという調書の作成方法は、石の中から女神を掘り出す彫刻家の技量が求められるのに、検察官が束になって、捻じ曲げた像しか掘り出せないのは嘆かわしいことです。本来の目的が「凛の会」事件の構図を明らかにすることではなく、誰かを陥れようとする意図であるとすればなおさらです。
仕事では、上から降りてきたものを理屈抜きにこなさなければならないことがありますが、物や金を扱う商売と違って、人の生活や時間、命を扱う仕事は、倫理観が大切ですね。
そういう意味で、いま読書半ばで止まっている『これからの「正義」の話をしよう』を最後まで読む優先順位が上がりました。

2010/09/13

村木女史

M君のメール:



冤罪に巻き込まれた村木厚子(労働省の局長)には、いささかの感動を覚えています。検察批判をするでもなくタンタンと心境を語るのを見ると、この人の人格・資質の強靭性は如何にして作られたのか、などと考え込んでいます。凡百の官僚批判を吹き飛ばした感もあるね。


私:
「これ以上私の時間を奪わないでほしい」という言葉が印象的でした。
いわゆる高級官僚というイメージとは異なっていて、高知大学出の、田舎の出身の、という形容詞がついて、支援者も多いようです。
この件が初めて報道されたころ、仏頂面の(ような)写真を見て、「さもありなん」などと思ってしまった失礼を穴埋めするために、 文芸春秋の独占手記を読んでみようと思っていたところです
インターネットで調べてみると、佐藤優氏のコメントがあって、『国策捜査』なる用語を知りました。
「村木氏の弁護を担当した弘中惇一郎弁護士は、鈴木宗男氏の弁護人でもある」ということも知って、検察に対する不快感の輪郭がより濃くなりました。

2010/09/02

風の盆

昨日、八尾まで足を延ばし、初めて「風の盆」の踊りを見てきました。
おわら節にはかつてほとんど関心がなかったのに、この変わりようには自分でも驚いています。

もっと驚いたのは、入善や黒部、魚津の山沿いと似たような地形の八尾の町が、豊かな街並みを残して今も栄えている(ように見えた)というところです。

諏訪町という通りは、電柱を取り外し、いしだたみを施し、人工的に整形された古い街並みながら、日本の道百選に選ばれたようで、踊りの流しを待つ1時間に感じた地元の人の誇りも相当のものでした。

諏訪町の踊りには、細い通りにびっしり詰まっていた見物客を、除雪した雪のように道の両脇へ追いやり、踊りのためのスペースをしっかり確保する役割の人がいて、見物人を厳しく取り仕切ります。

ここから動くなと移動を制限されてから、待つこと小一時間。お花というご祝儀をもらうと、その場所の前で丁寧に踊るので、前に進むのが遅くなるらしく、100mぐらいを進むのに1時間もかかりました。

その前に、見物した上新町の踊りは、混雑していても、観客は自由に移動して観ることができ、踊りの流れもスピードがあり、30分で終わりました。
踊り手は、控えの場所から出て踊り始めの坂の上に移動するとき、これからスポーツの試合でも始まるかのように、盆踊り風の掛け声をかけあって、若々しいエネルギーが期待を盛り上げました。踊りの前を、三味線、胡弓、太鼓、音頭取りが先導し、おわら節の歌は一節ごとに年配の歌い手が交代して歌いあげます。

踊りの流し方は、11の保存会ごとにそれぞれの特徴があるということです。
観光客・見物人として目の前の歌と演奏を初めて体験した上新町の踊りは、自由な雰囲気の楽しい踊りでした。
ずいぶん待たされた諏訪町の踊りは、初めてという感動がない分、歌と踊り以外のことが目につき、管理の行き届いたスノビズムの踊りという印象しか残りませんでした。


町流しについては、素人の感想ではなく、通のコメントができるようになりたいと思います。


駐車場に帰るシャトルバスは最終23時ということなので、諏訪町の踊りが目の前を過ぎた22時20分ぐらいに、時間切れで帰りました。

バス乗り場に戻る途中の道端で、三味線、胡弓を持って歌う浴衣姿の3人---50-60歳の男性と、20歳代ぐらいの女性---の歌う前に、それに聴き入る人が立っていて、自分もその中に入ってみたくなりました。