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2010/01/01

2010 年賀状



あけましておめでとうございます。

昨年五月より、「富山県小学校外国語活動協力員」という仕事をはじめ、四十数年ぶりの実家での生活を満喫しています。

ALTと担任の先生のお手伝いをする英語の授業以外に、算数など他の授業や学校行事にも参加し、四つの小学校で千人ぐらいの子供たちのまなざしに触れ、溢れる元気とエネルギーをおすそ分けしてもらっています。
小学校での英語授業は、早く始めたところでは既に四年の実績があり、ネイティブ・スピーカーの生の英語に触れてきた子供たちの発音は本物で、日本人の英語への評価が変わるなと実感しています。

遠くにあって、懐かしいだけで輪郭がはっきりしなくなってきていた故郷は、子供たち、先生・ALT、幼馴染、老母、黒部川扇状地と後立山連峰の景観、生活の基本としての家事などとの、出会いと刺激が日常化する現実と相成りました。
自然の近くでは、一瞬の美しさを放つ、今、このとき、が大切なのだというこころが養われます。下記のサイト(*)に、その内緒の気持ちをしたためてみました。

本年も、よい年でありますよう、お祈り申し上げます。

平成二十二年 元旦

*このサイトのURL

2009/11/10

黒部川原のグミ

10月から、入善町の2つの小学校、N小学校とI小学校で、小学校外国語活動協力員の勤めを開始し、子供たちとのふれあいを楽しんでおります。

二つの小学校とも、インフルエンザが入ってきて、2年、3年あたりがかかりやすいらしく、学級閉鎖や教室での給食の措置が取られています。
これから、さらに増えていくだろうということです。

10月30日、黒部市民病院からの帰り道、黒部川の権蔵橋をわたったとき、小学校のころ、授業を放り出して、先生が川原にはグミとりにつれていってくれた楽しかったことを思い出し、母と一緒に川原に下りてみました。砂利道のそばに、昔と同じようにグミが群生し、赤い実をたわわに稔らせていました。数粒をそっとむしりとってほおばってみると、ちょっぴり苦くて甘い味がします。昔のままの味です。もっとおいしいのはないかと、グミの木をわたり歩いて、おいしいものは手のひらいっぱいに握りとり、その味、色を、楽しみました。午後2時過ぎ、白馬岳を代表とする後立山連峰の稜線と、そこにつながる紅葉を抱えた美しい秋の山々を望みながら、老母とグミ狩りを楽しむ至福のひと時でした。

11月3日、文化の日、N君に、グミのお土産を持っていきました。彼は、早速1~2粒つまんで口の中へ...

5日前に"至福"と思ったとき、N君に、高校の帰り道に一緒に道草をした彼に、このグミを持っていってやりたいと思ったことが、やっと叶いました。

その日の朝、NHKの番組で、介護教室の先生が、介護のこころについて、「何かをしてあげる」のではなく「自分がしてあげたいことしなさい」と説いていました。その若い女性の先生は、わがままな母の介護をした時、やさしい気持ちになれなかった自分が、父の母に対する態度を見て、気持ちの大切さに気がつき、それによって自分(のこころ)が変わると、お母さんも変わったというのです。

この番組を見なければ、N君にグミを持っていってあげたいと思った気持ちが、本当に実現したかどうかわかりません。
11月3日は、数日前の冬型の天気も落ち着いて、川原は再び温かい陽気でした。山々は、5日前と同じように美しい稜線をくっきり見せていました。白馬岳がすっかり雪をかぶったところだけが、前と違っているようでした。

丸川病院で、ロコモティブシンドローム(彼は、この番組を見て、腰痛など、これが自分の持っていた障害をぴったり解説している、いい番組であったと力説)などの話しをしているときに、N君の妹さん夫婦がお見舞いにやってきて、二人とも珍しそうにグミを2~3粒手に取りほおばってみせました。食べると、翌日、便秘する、などと言いながら...

2009/07/24

4本足-2本足-3本足-4本足 なあに

脳は、

60歳台は高校時代の回路に戻り、
70歳代は中学校、
80 歳代は小学校、
90 歳以降は幼稚園、保育所時代の能力・思考レベルに回帰する、
という仮説を立ててみました。
母の思考の構造、感覚領域が、毎日接している小学校の低学年と同じような感じであると思ったことから、子供の成長と老化の進行を対比して、自分がこの先どうなるのだろうと、先を思いめぐらしてみたのです。

20歳まで大人になる勉強・訓練をし、
30代に大人としてさらに成長し、
40代がピーク。
50代、60代は次の世代へ世代交代。
還暦前後で現役リタイア、第2の人生をはじめたり、旧交を温めたりしながら、さらにその先を眺め、模索あるいは突っ走る...

母も、80歳ごろにはメールも発信できたのに、85歳の昨年からはテレビのリモコンもうまく使えなくなり、86歳になった今は時間や空間・距離の感覚が受動的になり、自分で確かめられる身近な範囲、生活圏でしか、自分の世界を思いがめぐらすことができなくなっている....

小学校3年生、あるいは2年、1年の子供たちは、保護者・先生の保護のもと、与えられた環境をそのまま受け入れて、毎日学校に来て生活することの基本を学び、毎日の生活にそれなりに満足しているように見えます。
生きていること、存在していることそのものが、幸せに見えます。 自分が年をとって、今日の日付が分からなくても、生きていることに感謝できるような自分になれればと思います。

2009/07/17

小学校外国語活動協力員-その3

この仕事を始めて、もう1ヶ月以上、生まれ育った実家からの学校勤めに、ようやく身体も慣れてきました。

大変であったのは仕事そのものではなく、仕事の合間に、築55年の古い家に自分が生活できるような環境を順次整えながら、炊事・洗濯など、生活のための時間を毎日一定時間割かねばならないことでした。

18歳まで暮らした自分の部屋の黒ずんだビニール・タイルの拭き掃除から始め、オレンジ色に怪しく光る電球の電気スタンドを蛍光灯の明るいものに換え、本棚のとなりに積み重ねていた書類を100円ショップで仕入れたプラスチック製の書類ケースに収納し、それでも整理しきれない書類を縦にしたり横にしたり、あるいは、新しく購入したインクジェット・プリンターの上に積み重ねたりして、曲りなりにも何とか使えるようにしたものの、仕事を終えて帰ってからの食事の準備と後始末にはたっぷり1時間半はかかり、パソコンの前に坐る時は、家事に疲れて、あるいは、酩酊していて、頭が働かない状態がずっと続いたのです。

週末は、母を、ケアハウスから連れ出し、つかの間の、リハビリ支援。
いまや、孫たちの写真を見ても手助けをしない限り、それが誰であるかを認知することができないほどまで、識別能力が衰え、腰を曲げた歩行の能力も、良くて一年前の3分の1ぐらいになってしまいましたが、自分のうちに戻れば、生き生きとして、目が輝きます。

小学校の生活は、想像していた以上に楽しく、特に、子供と触れ合うときは、すがすがしい気持ちになり、エネルギーをもらって、若返ります。

週2日ずつの2つの小学校の生活は、英語の授業への参加以外に、算数の補助、生徒と一緒の給食、校外学習の付き添い、小遣いさん仕事など、おおむね似通ったことをやっていますが、140人規模の古い建物のO小学校は生徒がのびのびしており、270人規模の大きな4つの小学校が統合した開校5年目の最新の設備が整ったU学校の生徒はなんとなく硬さがあるような感じで、校風・学校の雰囲気、ルールなど、大小さまざまな違いがあり、おもしろいものだなと思います。私の仕事に影響するような違いもありますが、私にとってマイナスの作用をするようなものであっても、それも経験として明るく受け止め、楽しく、前向きに受け入れています。

O小学校では、すべてのクラスに一回は顔を出しているので、共通体験も多く、名前と顔が一致する生徒の数も増えました。

6月5日、算数の補助ということで訪れた3年生のクラスは、その朝、モンシロチョウが羽化したというので、急遽理科の授業に変更。ガラスケースに入っている蝶になったばかりのモンシロチョウの観察です。
クラスの15名は、まずは、羽化した蝶の姿を観察ノートに写生。
「先生、モンシロチョウはモンキチョウになりますか?」 「さあ、分かりませんね」というような会話をながら...
授業が終われば、卵から幼虫、さなぎと、1か月以上クラスで育てた蝶ともお別れしなければならないことなり、卵を家から持ってきた女の子がお別れの言葉を朗読することになったものの、涙にむせて、言葉になりません。私も、思わず、もらい泣きをしそうになりました。

6月10日、1年生の算数の補助。黒板には、

10は、1と?でできます
10は、2と?でできます
...
10は、9と?でできます

 

と書いてあり、足し算から引き算への移行のような授業の内容です。

やがて、生徒が、教科書の問題を解く時間になりました。

四角いボックスが上下2段になっており、下の段は、さらに左右2つのボックスに分けられ、
上の段には下の2つのボックスの数字の合計が書いてあります。

下の2つのボックスは、左右いずれか1つのみに数字が入っています。
空いているボックスの中に、数字を書き入れる問題です。

  これが意外と難しいようで、26人のクラスの3分の1ぐらいの生徒が、四苦八苦の末、手を挙げて助けを求めます。

両手を開いて、まず、上段の合計の数字を指で作り、次に、下段の数字の数だけ、問題に合わせて左右いずれかの方向から指を折って、残りの数を数える...
ひとつの指を折ると他の指も一緒になって折れたりして、これがまた、簡単でない子がいるのです。

子供の手を取って、指折りの手助け...生徒も喜び、私も喜び、いつまでも続いてほしいひと時でした。

2009/05/11

小学校外国語活動協力員スタート

本日、5月12日より、黒部市の2つの小学校で、小学校外国語活動協力員という仕事をすることになりました。

まず校長先生と仕事の内容を打ち合わせてくださいというので、U小学校を訪れ、さて仕事の内容をと思ったら、いきなり「外回りの水撒きをしていただけますか?」といわれました。女の校長先生です。怖かったので、「はい」と答えました。

田舎のことだから、これから英語教育の準備を始めるのだろうと高をくくっていたらとんでもない。もう4年も前から、ALT(Assistant Language Teacher)を配置し、小学校1年生から6年まで、全校生徒を対象に英語の授業をやっているので---1、2年は月1回、3年以上は週1回---驚きです。

今日は、3年生の授業を見学しましたが、ALTが英語で授業を行い、英語指導補助員がそばにいて日本語で通訳・解説などの補助をし、おまけに担任の先生もいる3人体制で、完璧な授業。

ということは、私が行ってありがたがられることは、やはり、水撒きあたりのようなのです。

注:黒部市が「英語特区」と指定されて行ってきたことは下記のURL(古いですが)にあるとおりです。

http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub2/kyouiku/ho_s2_05081401.htm

2009/04/22

終わりよければ...

昨日、富山県教育委員会の臨時職員(小学校英語活動協力員)の面接を受け、その場で"採用"といわれ、さてどうしようかと思案中。

ハローワークで見つけた富山県教育委員会が募集している緊急雇用対策に先週応募。9/30まで週4日、小学校で英語tの指導の補助、入善、朝日、黒部、魚津(注)の小学校2校を見つけて、独自に英語のお手伝いをする仕事。

注:いずれも、実家から車で30分以内のところ

 

プラス面、マイナス面、両方、検討課題がたくさんあります

今回の応募は、エレベーターのある建物を嫌う母が、”終わりよければすべてよし"などと意味深なことをいうので、週末ぐらいケアハウスから連れ出すことが可能ならばと思ってトライしてみました。9月以降も半年延長可能というのですが、いざやるとなると、決心が必要です。

英語を第一の要件として掲げる求人では、TOEIC 825点、英検準1級はこの年だと通用しなく、もう一ランク上を要求されますが、富山県の小学校の英語教育ではたりたようです。

面接の帰り、富山駅から電鉄黒部(昔の桜井駅)まで、富山地方鉄道の、40年間走り続けているような白い2両編成の特急宇奈月行きに乗りました。どの駅も、駅のホームは赤茶けた鉄さび色に彩られ、駅員も1人しかいないか無人駅の様相。平日の13:10-14:00の時間帯は、人もまばら。曇り空で、山の稜線ははっきりと見えませんでしたが、剣岳だけはどこから見てもとんがった頂と雪の沢筋をあらわにむき出していました。

富山といわれる所以の山々を、これほどじっくり、しつこく、見つめたのは初めてのような気がします。富山市内のビルの上から見た山が勇壮に見えたので、もっと近くに行けば、かつて見えなかったものが迫ってきて、何か起こるかも知れない、と半分ワクワクして出発したのですが、結局は、何も起こりませんでした。

母の近くに住むということに伴うマイナスの面を補ってくれるような新しい視点が、その電車に揺られる中から生まれて来やしないかと、期待したわけです。 

面接で、こんな話しをしました。

小学校のころ、集英社の国語辞典の用語解説の下に英語の単語が載っていて、それを組み合わせて文を作り、自分は英語ができると思っていたのだが、中学に入り、英語の文と日本語の文の単語の順序が同じでないことが分かり、ショックを受けた、カルチャー・ショックであった...と。

一夜明けて

朝、黒部笑福学園から連れ出した母に、かつて母が教えてくれた、万葉集の歌を、思い出そうと思ったけど忘れてしまったという"古草"の歌を、逆解説。

上の一文を書いた後、母のいるはずの居間に戻ったがいない。どこに行ったのだろう。庭の花でも見に行ったのかしら...
ケアハウスでは、一日中部屋の中に閉じこもりがちで、老人性認知症が確実に進み、歩行力も施設に入る前の1年前と比べて各段に落ちたが、自分のうちに戻ると嬉々としている。

しばらくしてもう一度居間に戻ると、今書いたばかりの短冊を手にしている。

おもしろき野をば な焼きそ 古草に新草まじりて 生いは生ふるがに
万葉集 巻14 雑歌 3452

 

「終わりよければすべて良し、自分のうちが、一番いい」と母は言う。 直接ではなく、電話の向こうで。2-3週間前のこと。