2011/12/19

ヒスイ海岸に並行するタカラ探し小屋

北陸線越中宮崎から市振方面に向うと、左手に、うらぶれた小屋が次々と目に入ってきます。かつての漁(宝)のための小屋(?)(漁師小屋?なんと呼ぶのかわかりませんが)海岸と並行して50軒ぐらい並んでいます。
いつも見ている風景ですが、風間先生の話を聞いて意識が変わり、たとえ列車の窓のガラス越しでも、雪の降るくすんだ空と海でも、電車のスピードが速くて少し見にくくとも、撮ってみようという気になりました。
宮崎海岸はヒスイ海岸と呼ばれ、夏にはオートキャンプ場がにぎわうところ。しかし、小屋の並ぶあたりは、建物が少しずつ傾いていくためだけに時間が流れているような静かなたたずまいです。
どの小屋にも、節穴から向こうが見通せるような隙間がありそうで、ちょっと中に入ってみたくなるような不思議な魅力をもっています。もっと良くみようと、流れる小屋に首を回しながら目を凝らしても、スーッと右から左に流れていき、また、右から次の小屋が見えてきて、また去っていきます。今にも崩れ落ちそうに見えながら、秋にも、夏にも、春にも、去年も、その前の年も、ずっとそこにそうして、建っていて、流れていきました。

新潟県との県境、境駅というのがあったような気がして調べてみましたが、記憶違いでした。「井波駅がなくなって結ステーションになった」という2日前に刷り込まれたストーリーの影響でしょうか。実際にあったのは、境の関所...つまりは昔の駅...! です。

今度、電車ではなく、歩いてそばに行き、写真を撮ってみたい....
 — 場所: 越中宮崎ー境川

2011/12/14

映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」

一昨日、黒部市のコラーレで、映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」を観てきました。
富山県だけかもしれませんが、テレビや新聞での宣伝も多いので、関心がないわけでもなかったのですが、わざわざ観にゆくきっかけになったのは、これも「I love 南砺ふるさとコミュニティ」関連です。
交流会で隣に座った人が、富山県ロケーションオフィス(富山県内での映画撮影をスムーズに行うことができるようにするための富山県の総合的な窓口)の人で、ならば、何がどうなっているのかを確かめようと、足を運びました。

その日の感想:
映画としては、駄作 ! 。愛を伝えられない大人、第2の人生、仕事、定年、末期がんなど、世の中のキーワードをなぞってつないだだけのストーリーの間に、電車と私鉄沿線の風景がたくさん映っていて、富山弁の会話はあるものの、そのいずれにしても、そうなるべき必然性が感じられず、深い感動をもたらさないのです。
しかし、家に帰って、次のように紹介しているRailways2公式サイト、を参照して納得しました。
風光明媚な日本の風景の中を走る電車の映像を切り取りながら、決して大規模ではないけれど、地元の足として頑張っている地方鉄道に光を当てていきたい。そして、それが地方を元気にすることに繋がれば―。
「RAILWAYS愛を伝えられない大人へ」を富山市がスポンサーとなった観光コマーシャル・フィルムと見れば、とても明快です。撮影したスポットのすべてを、エンディングのクレジット・タイトルに載せていないのが不満に感じられるくらいです。
そして今日:
駄作は取り消し:
今朝はよい天気で、朝日岳、白馬岳などの峰々がはっきりと見え良い眺めです。
屋上で洗濯物を広げていると、川向いの方からガタガタゴトンという地鉄の電車の音が聞こえてきました。映画のことが思い浮かびます。
景色の(リアルの)美しさは、感動そのもの。気持を明るくし、ゴタゴタがあっても蹴散らす作用があります。
RAILWAYSは、美しい景観を並べて、観る人の脳裏に焼きつけることを狙っており、小さな人間の間に起こる生活のああだこうだストーリーは附録みたいなもの.
狙いはしっかりはたされています。

熱気・におい・語調などのリアリティーを欠くネットの社会は、発信されているコンテンツが本当かどうかをかぎ分けなければならないところがあります。
個人レベルの匿名情報でも、たくさんの人の評価を受けて、脚光を浴びるものもれば、誰も注目しないものもあります。
美しいものは美しい。いいものはいい。それを伝えようとしている心を感じ取って、それを確かめたいと思わせたら、発信の目的が達成されます。
発信者は、いいと思われそうなものを、ではないですね、自分がいいと思うものを、自信を持って、媚びずに発信すればいいのだ、と考えました。