2011/12/19

ヒスイ海岸に並行するタカラ探し小屋

北陸線越中宮崎から市振方面に向うと、左手に、うらぶれた小屋が次々と目に入ってきます。かつての漁(宝)のための小屋(?)(漁師小屋?なんと呼ぶのかわかりませんが)海岸と並行して50軒ぐらい並んでいます。
いつも見ている風景ですが、風間先生の話を聞いて意識が変わり、たとえ列車の窓のガラス越しでも、雪の降るくすんだ空と海でも、電車のスピードが速くて少し見にくくとも、撮ってみようという気になりました。
宮崎海岸はヒスイ海岸と呼ばれ、夏にはオートキャンプ場がにぎわうところ。しかし、小屋の並ぶあたりは、建物が少しずつ傾いていくためだけに時間が流れているような静かなたたずまいです。
どの小屋にも、節穴から向こうが見通せるような隙間がありそうで、ちょっと中に入ってみたくなるような不思議な魅力をもっています。もっと良くみようと、流れる小屋に首を回しながら目を凝らしても、スーッと右から左に流れていき、また、右から次の小屋が見えてきて、また去っていきます。今にも崩れ落ちそうに見えながら、秋にも、夏にも、春にも、去年も、その前の年も、ずっとそこにそうして、建っていて、流れていきました。

新潟県との県境、境駅というのがあったような気がして調べてみましたが、記憶違いでした。「井波駅がなくなって結ステーションになった」という2日前に刷り込まれたストーリーの影響でしょうか。実際にあったのは、境の関所...つまりは昔の駅...! です。

今度、電車ではなく、歩いてそばに行き、写真を撮ってみたい....
 — 場所: 越中宮崎ー境川

2011/12/14

映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」

一昨日、黒部市のコラーレで、映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」を観てきました。
富山県だけかもしれませんが、テレビや新聞での宣伝も多いので、関心がないわけでもなかったのですが、わざわざ観にゆくきっかけになったのは、これも「I love 南砺ふるさとコミュニティ」関連です。
交流会で隣に座った人が、富山県ロケーションオフィス(富山県内での映画撮影をスムーズに行うことができるようにするための富山県の総合的な窓口)の人で、ならば、何がどうなっているのかを確かめようと、足を運びました。

その日の感想:
映画としては、駄作 ! 。愛を伝えられない大人、第2の人生、仕事、定年、末期がんなど、世の中のキーワードをなぞってつないだだけのストーリーの間に、電車と私鉄沿線の風景がたくさん映っていて、富山弁の会話はあるものの、そのいずれにしても、そうなるべき必然性が感じられず、深い感動をもたらさないのです。
しかし、家に帰って、次のように紹介しているRailways2公式サイト、を参照して納得しました。
風光明媚な日本の風景の中を走る電車の映像を切り取りながら、決して大規模ではないけれど、地元の足として頑張っている地方鉄道に光を当てていきたい。そして、それが地方を元気にすることに繋がれば―。
「RAILWAYS愛を伝えられない大人へ」を富山市がスポンサーとなった観光コマーシャル・フィルムと見れば、とても明快です。撮影したスポットのすべてを、エンディングのクレジット・タイトルに載せていないのが不満に感じられるくらいです。
そして今日:
駄作は取り消し:
今朝はよい天気で、朝日岳、白馬岳などの峰々がはっきりと見え良い眺めです。
屋上で洗濯物を広げていると、川向いの方からガタガタゴトンという地鉄の電車の音が聞こえてきました。映画のことが思い浮かびます。
景色の(リアルの)美しさは、感動そのもの。気持を明るくし、ゴタゴタがあっても蹴散らす作用があります。
RAILWAYSは、美しい景観を並べて、観る人の脳裏に焼きつけることを狙っており、小さな人間の間に起こる生活のああだこうだストーリーは附録みたいなもの.
狙いはしっかりはたされています。

熱気・におい・語調などのリアリティーを欠くネットの社会は、発信されているコンテンツが本当かどうかをかぎ分けなければならないところがあります。
個人レベルの匿名情報でも、たくさんの人の評価を受けて、脚光を浴びるものもれば、誰も注目しないものもあります。
美しいものは美しい。いいものはいい。それを伝えようとしている心を感じ取って、それを確かめたいと思わせたら、発信の目的が達成されます。
発信者は、いいと思われそうなものを、ではないですね、自分がいいと思うものを、自信を持って、媚びずに発信すればいいのだ、と考えました。

2011/06/17

ひねもすのたり症候群

ひねもすのたり症候群

一昨日は、本年度第1回目の英検の日でしたが、受験しませんでした。
受験の申込をしなかったからです。
申込をしなかった理由は簡単、5/20の試験申し込みの期限を逸したからです、うっかりと。

夏休みの宿題のように、簡単にすぐできることを期限ぎりぎりまでに引き伸ばし、結局締め切りの最後の日にエイヤーとやっつけることを、学生症候群(student syndrome)というそうですが、引き延ばして、結局間に合わなかったのはなんと名付けたらいいでしょう。
大惨事を招いたわけでもありませんが、頭脳メルトダウン症候群とでも... 息子は、"メルトスルー"がふさわしいと言います。
大事なことを適切なタイミングでやらなかった、できなかったのは、それを望んでいたのかも...

私A:じゃ、英語の勉強をつづけていましたか?
私B:いいえ。
私A:それでは、申込を必要なこととは思っていなかったわけですね。
私B:いいえ、ただ、勉強はしなくとも、試験は受けるつもりでいました。
私A:それで、合格すると思っていましたか?
私B:いいえ.....
私A:勉強しようと思えば時間はたっぷりあるでしょう。ほかにやらなきゃいけないことは何もないのに。
私B:ほかの楽しいことをしていました。
公民館のホームページ作りのお手伝い、補聴器のお試し、音読がなぜ英語の上達によいのかをわかりやすく説明するための資料作り、などなどです。
私A:それらの目的は何ですか? きちんとスケジュールして、時間を管理してやっているのですか?
私B:いいえ。
私A:思いつきで、成行きに任せて、一日をすごす...それは、「ひねもすのたり症候群」ですね。

ホームページ作りのお手伝い

公民館のホームページの更新がなかなか進まないことを聞いた人が、私がパソコン・メーカーの元社員だからできるはずと勝手に解釈して、昨年末に、話を持ち込んだのが、ことの始まりです。

「ホームページビルダー」は、初期のバージョンで少しいたずらをしたことはありますが、最新のバージョンを使ってホームページ作成のサポートをするとなると、勉強しなおすところから始めなければなりません。時間を割いてお手伝いし、ホームページを完成させたとしても、コンテンツの性格や、スタッフの経験・スキルを考えると、その後のメンテナンスや継続性が心配でした。

公民館はコミュニケーションの場、地域住民のコミュニケーションを推進するのであれば、複数の人が自宅でも更新可能なグーグル・サイトを利用するのもよいのではと考え、サンプルを作って紹介、提案をしました。見栄えの良いディスプレイの機能はないけれど、易しく、どこでも、誰でも、無料で使えますと説いたところ、そのサンプルを正として新しいホームページにしたいということになってしまったのです。
グーグル・サイトは簡単だと思うのですが、それでもはじめての人には難しいようです。ぺージの作り方や、更新の仕方などの勉強会を行ったところ、「パソコン教室」というタイトルで、新しいホームページ開設後の最初のページとなりました。

パソコン、インターネットがなくても支障がない田舎のコミュニティーのホームページですから、やろうと思ったら、やることことは山ほどありますが、出しゃばらないよう、少しずつのお手伝いをしていこうと思います。 

補聴器のこと(大事なことなのです、年寄りくさくても)

英検の試験を受けるのが今年の一大目標(?)になっていたにも関わらず、申込の日を忘れるほど.....何に囚われていたかというと、補聴器です。5月、補聴器を購入すべく、複数メーカーのいくつかの機種を借りて比較検討作業に没入。ふと気がついたら締切日が2日前に過ぎていました。
そもそも補聴器を購入しようという気になったのは、英語のListeningの聞き取りを良くしたいということにあったのですから、本末転倒の笑い話になります。

補聴器を試してみようという気になったのは、昨年はじめの英検の試験で、これまでと違った聞き取りにくいさを感じたことが発端です。にぎやかなところでの会話の聞き取りにくさは、4~5年前に始まり、だんだん進んできたのですが、このころ、早口でしゃべる子供たちの会話がますます聞きとれなくなり、テレビの音がうるさいと言われるようになったことで、ディジタル補聴器の効果を試したくなったのです。

昨年試したときは、裸の耳では聞こえない鳥のさえずりが聞こえたものの、家族との会話での効果があまり感じられず、高価さに見合うメリットが得られないと見送ったのです。

ディジタル補聴器は結構値段が張るため、効果を十分実感しない限り購入する気にはなりません。このときは、なぜそんなに高いのか、こういう分野で強いはずの日本のメーカーのプレゼンスがなぜ弱いのか、技術やシェアで世界のリーダーはどこか、このときは、このような疑問に答えが出ない限り、きっと購入しないだろう、という結論を下したのです。

今年も、きっかけは英検です。昨年試したメーカー以外のものや、販売店も、積極的に試しました。4月にはじめ、2か月ぐらいかけて、4社のものを試聴し比較検討しました。

インターネットで調べると、販売店やメーカーが運営するサイトで基本的な情報は得られるものの、メーカー別の機種・機能の違いやマーケット・シェア、ユーザーの声など、私が知りたいと思うような情報はあまり得られません。検索の範囲を、英語で広げて、初めて、世界6大メーカー、ユーザーの声、詳細な製品の機能情報、価格に関するデータ、など、疑問が少しずつ解消していきました。

さらに、メーカーのお客様窓口に電話して、試聴器の機能や試聴結果の判断のための細かなことも聞きまくりました。

おかげさまで、補聴器の知識が増え、この業界で仕事もできるのでは...とまで思ってしまいましたが、私のようなウルサイ客と付き合うことになるのは大変...とすぐにその考えは打ち消しました。

ちなみに、試したメーカーは、フォナック(スイス)、オーティコン、ワイデックス(以上デンマーク)、シーメンス(ドイツ)です。

なぜヨーロッパやアメリカのメーカーが補聴器に強いのかという疑問に対しては、言語の音声的違いによるニーズの違いが原因なのだという、自分なりの答え・仮説も得ることができました。


一般に、歳を取ると、高い周波数の聴力が落ちてきます。私の場合もこれに当てはまります。
SやKなど、子音の破裂音はこの高い周波数の音であるため、高い周波数の音を聴く能力が衰えた人は、補聴器の助けを借りなければなりません。
これらの高い周波数の音が多い英語やヨーロッパの言語で話す人々は、子音の数が少なく、子音には必ず母音が組み合わさるため音の弁別が簡単な日本語を話すわれわれよりも、より補聴器で補う必要があるのです。
高機能のディジタル補聴器には、高音をより聴きやすくするために、聞こえなくなった高い周波数を聞こえる範囲の低い周波数に変換または圧縮するというする機能などを加えたものもあります。

日本語は、音の分解のための高機能はあまり必要ではなく、全体のボリュームを上げる機能さえあれば事足りるので、補聴器に対するニーズも育たず、高機能な製品を産まなかった....?? !

このように、試したり、調べたりしたのは、4月から5月までのこと。
そして、昨日、とうとう補聴器を購入しまいした。Phonak Audio S Smart IIIという機種です。

結論: では、昨年見送ったのに、なぜ、購入したか①、なぜこの機種か②、購入後の評価は、迷いはないか.... ③


①昨年見送ったのに、なぜ、購入したか

-昨年は、鳥のさえずりが聞こえるが、家族との会話の聞こえが改善しなかったのに対し、今年は会話がの聞こえが改善した
-要は、音量を適切に上げれば効果があるということがわかった
-ボリュームを標準から上下5段階上げ下げできるリモコンが決め手となった
-英語の高周波数の音も、ボリュームをあげれば聞こえやすくなることがわかった。高周波数音の圧縮あるいは変換は会話の改善には不要ということも理解した

②なぜこの機種か

-試聴した結果に納得
-メーカーの技術力:高音変換の技術に他のメーカーと比べて高い品質を感じた
-ホームページや説明書などが充実
-値段はこれぐらいと納得:イギリスでもこれぐらいの値段
-信頼できる販売店とそのお勧め

③購入後の評価は

-試聴したのは、一つグレードの高い機種だったため、多少質が劣るような感じがありますが、それは想定内許容範囲内。それで10万円安くなることの方がメリットです。

音読について

音読がなぜ英語の上達によいのかを息子に説くための、プレゼンテーション資料作りを始めています。
いくつかの本を参照するだけなので、すぐにできると思っていたのですが、なぜ音読がよいのかという肝心のところがまだできていません。これも楽しみながらやっています。
その前提となる資料は、2年前に作成した、小学校の先生方向けの英語の発音に関する講義の資料です。

2011/04/28

切り抜きの効用

 友へのメールより
「 もしかしたらもっと生きられるという希望が出て来た今の方が、死ぬしかないと思っていた前よりも、苦しんでいますね。 」
これは、山谷で「きぼうのいえ」というホスピスを運営している山本美恵さんが、これから死に行く人のcareをしているとき、その人の心が解けてきたときのコメントです。
このメールの書き始めに、たまたま飛び込んできたメッセージです。
 
このメッセージも山本美恵さんも、私のあたまの中には何も残っていなかったのですが、私のメモ( Evernote)に残っていました。
昨年末(12/13)、NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で放映されていた時の感動がメモになっていたのです。
 
希望があるから苦しくなるというのは理解できます。
反対に、いや、同じかもしれませんが、『「無」、悟れば生きる力』というのもあります。
「無の心」を自覚すれば、肩の力が抜け気持ちが軽くなって、生きるエネルギーがわいてくる。でもね、ぬるま湯につかっていたら悟れない。一度どん底に落ちたらいい。欲も煩悩も迷いも薄らぎ、必死ではい上がるしかない。じたばたせず、うろたえずに世の中をじっと見つめて好機を待つ。
 
出典  有馬頼底  臨済宗相国寺派管長  2008/11/12 朝日新聞夕刊より
 
Evernoteで、はじめに、探したかったのは、先週土曜日(4/23)の朝日新聞、天声人語で紹介された島田陽子さん(詩人)の次の詩でした。
滝は滝になりたくてなったのではない
落ちなければならないことなど
崖っぷちに来るまで知らなかったのだ
思いとどまることも
引き返すことも許されなかった  (この2行は別のlinkより)
しかし、まっさかさまに
落ちて 落ちて 落ちて
たたきつけられた奈落に
思いがけない平安が待っていた
新しい旅も用意されていた
岩を縫って川は再び走りはじめる
 島田陽さんは、大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」の作詞者で、6年前にがんの手術をし、4/18に81歳でなくなったそうです。
 
「・・・導きください」とあったので、考えました。考えが及ばないので、半年から1年分たまった切り抜き途中の新聞の整理を開始。3日間かかっていますが、いまだに終わりません。
 
その中で、切り抜きの整理、つまり、記事を通して自分の頭や心の中をのぞき思いをめぐらすこと、の中で感じたことは、共感、感動のおよぼすポジティブな作用です。
それは、アルコールが入ると増幅され、心地よすぎる希望にも拡大します。冷めたら、今の現実に戻りますが、思い起した感動の余韻は残ります。
 
新聞は、新しいから、この先どうなるかわからないから面白いのであって、当たり前のことですが、旧聞では、初めて読んだときの驚きや疑問、興奮が萎えてしまっていることも多い、ということも改めて感じました。
 
過去のすべての感動を呼び起こし、楽しいことも、苦しいことも、つまらないことも、なんでもありの未来に、いっぱい素晴らしい感動があることを期待して、感動の土台の上の今を、感動に満ちたものにしましょう。
何もなくても、今があることが感動なのです。

2011/04/21

手を合わせる

>アミダと向き合う時、あるいは他の仏さまでもいいが、さて皆さん何を念じますか。
 
手を合わせて念ずると言えば、食事の前の「いただきます」ですね。でもそれは、阿弥陀さまに向かってではないようです。
小学校の食堂の前の壁の張り紙に次のようなことが書いてあって、感心したことを思い出します。
「いただきます」と言って感謝する対象は、食事をテーブルに運んでくれた給食係のお友達、食事作ってくれた方々、食材を学校まで運んでくれた人、野菜や牛乳を作ってくれる農家の人たち、そして自分の命を食べ物としてささげてくれた生き物たち
お寺で手を合わせた記憶となると4年ほど前の中学同窓会の前の物故者合同弔い会、「安らかに...」と念じたかも知れません。
実家の仏壇の前で手を合わせたのは1年半ほど前の報恩講。お寺からのはがきが届いていたところへ、檀家の世話役からの電話が入り、お経をあげてもらうことにしました。私も母も、滅多に仏壇を開かないので、仏壇の扉はスムーズにあけるの難しく、開ける度に少しずついたみます。
 
このようにお寺や仏壇の前は少ないのですが、神社の前で手を合わせることは、時々あります。
4月6日、東京王子の稲荷神社で手を合せました。会社の退職仲間(元同僚・先輩)で花見に出かけた際のことです。
鶯谷の子規庵を訪れた後、王子まで足を延ばし、飛鳥山公園で桜を愛で、時間つぶしの渋沢栄一史料館でこの人を再(?)認識し、王子神社を経て王子稲荷神社へ。
敷地も広くて立派な王子神社では誰も手を合せなかったのが、狭い崖っぷちにある稲荷神社では、その存在感に惹かれてか、5人中3人がお参りしました。
帰り道、近くの饅頭屋さんによると、王子稲荷神社はパワースポットとして有名ということで、なるほどという感じがしました。
 
パワーが強いところというものは、これまでにそこを訪れた人のいろいろなエネルギーが蓄積されていて、その総和が少しずつ放出され、訪れる人に迫ってくるのではないでしょうか。
 
高校野球で一生懸命にプレーする球児からパワーをもらう、多く人の視線にさらされて美人になる、屈託のない小学生の笑顔から元気をもらう、勇気をもらう、力をもらう....こうしたプラスのパワーはもとより、
自分にないもの、欠けているもの、不足しているもの、持っているはずだが失念しているもの、そういうものを与えてくれる、あるいは、それでも大丈夫だよと励ましてくれる存在に対して、それを祈るパワーも、大きな力だと思います。
 
ところで私は、何を念じたのでしょうか? 忘れました。 家族の無病息災でしたかね...お賽銭が5円だったことは覚えています。

2011/04/06

命を命がけで予測しないゲンパツはゲンバツに処すべし

本日、富山から千葉に移動しました。千葉には1週間いる予定です。

道中の景色は、大惨事など何事も感じさせない、春に向かっての 穏やかな景色でした。

富山湾を抜けて新潟県に入ると、電車は海岸線沿いを走ります。
左手に青い海を垣間見ながら、親不知、青海を経て糸魚川へ。
もっとゆっくり海を見たいと思っても、トンネルや、高速道路が視界を遮ります。昔は、もっと海岸線沿いを走り、ゆっくりとしていて、よかった....

糸魚川の手前姫川のあたりでは、海岸線のすぐ近くに、まだつながっていない北陸新幹線の高架線がポツン、ポツンと建っています。
昨日、富山のニュースで、佐渡の西側に2つの大きな断層があり、日本海に地震が起こったらマグニチュード7ぐらいのものが起こるであろうと報じていました。その時の津波に耐えられる設計がしてあるのだろうか、などと思いながら、止まっている工事の流れていく痕跡を眺めました。

予測した最大の規模に対応できるようにしていたけれども、予測を超えたのが今回の津波ということならば、その教訓は、予測する以上の規模を最大として対応すべきなのであろうか。予測以上の予測??

経済しか考えないで、命を命がけで予測しなかったとしたら、ゲンパツは、ゲンパツに処すべし。

糸魚川で特急はくたかにり換え(14:38発)、直江津からほくほく線に入ると、新潟の内陸はまだ雪が残っていて、越後湯沢までずっと雪景色、白く輝やく山の稜線の間の細い平野を縫うように列車が走ります。
越後湯沢で新幹線に乗り換え、東京までは76分。利根川の作った平野では、麦なのか、広いはたけの緑が続いていました。
東京着は、17:20なので、入善(14:00発)からは3時間20分の旅です。
そこから千葉の自宅までが、もう一つの旅で、最寄りの土気駅についたのが、19:00でした。

2011/03/03

脳はTo Do リストを自動的に作る


場所が変わると、見えるものが違ってくる。

目からの刺激で、しなければならないことが、次々に浮かんで来る。
目に入ったものが、自動的に、To Do リストに変換される。
今の時点でのなすべきことがリストアップされるのだ。

昨日の印象に残ったことが、そのまま浮かんでくる。それをOverrideする新しい経験・刺激がないから...

さすれば、場所を変え、新しい刺激を断てば、やるべきことが見えてくる...はず

さて、そのTo Doを具体化しようとMS Projectに向かったら、最初の1項目さえも浮かんでこない

これを次のように、解釈した:
  1. あたまは、自動システムが働いていて、何をすべきかの連想ゲームは、環境が変わるほど活発に動く
  2. その自動化された連想を、論理的にまとめる作業は別システムで、連想結果を思考のインプットとして入力する手続きあるいはswitchが必要となる


2011/01/24

英検における過去問の効用

昨日、英検1級の試験を受けてきました。

テスト日の2週間前、試験まではほかのことを極力避けて集中しようと決意し、勉強プランを作成。


生活に必要な時間----食事の準備と食事の時間、新聞やテレビのニュースの時間、運動不足解消のための踏み段ステップ運動....掃除はなし----以外のすべての時間を勉強に回そうと計画し、勉強の時間を約90時間としました.

千葉ではなく富山での受験を選択し、めんどくさくて効率の悪い通信講座の仕事を断り、母を施設に預け、おわら節のレッスンもお休みし....おまけに、雪が降り続いて外の仕事をする必要もなく、環境としては、絶好の条件でした。
しかし、結果として、実際に勉強した時間はその半分。それでも、これは私としては大変よい成果です。

試験は、これまでとはあまり変わらない出来ばえながら、"次またがんばろう"という気持ちが湧きました。
これまでと大きく違うところは、時間はかかるであろうが、「合格しよう」という意思が芽生えたことです。

その理由は.....


1月18日のNHKの番組「朝イチ」で、赤本"が高い値段で売れているということ知ったのが転機でした。

何十年も前の大学受験の過去問の問題を提供している本、通称"赤本"に関するそのニュースでは、次のようなことを報じていました。

  • 過去の赤ホンの値段は、とても高い
    例 大阪大学3万円、早稲田大学8万円...
  • なぜ過去問が売れるかというと、実際の試験で、 過去の問題と同じもの、あるいは同じ傾向のものが、よくあるというのです
  • ある高校の教師は、テレビでは顔を出さないようにしていましたが、私費で800冊もの赤ホンを購入/ストックしていて、それを生徒に勉強させて、結果を出しているというのです。その教え子の女子生徒が、同じ問題が出て合格した ことでキャーキャー喜んでいる様子も映し出されていました。
  • 数年前、過去問を活用する宣言した大学として岐阜大学が紹介され、担当の教授が、次のようなことを言っていました
  • 背景は、これまで何十年も新しい問題をつくることに格闘してきたために、よく考えさせるような新しい問題をつくるのが難しくなってきたということ
  • かつて同じ問題であれば出題ミスと言われるようなこともあったが、いまはそのようなこともなくなった
目標とする試験に過去問をやるのは常識かも知れませんが、私はそれを軽く考えていました。

このことは、英検の場合にも当てはまると思い、試しに、昨年受けた問題を広げて、辞書やwebを使いながらじっくりstudyしてみたところ、確かに、同じような単語(実際には日常あまり使われないような単語)があらわれてきます。


たとえばReadingについては、問題は、英語で書いてある内容を読んで、正しい理解をできるかどうかを問うているだけ、と捉えていましたが、調べてみると、問題の内容を構成しているテキストの中に、単語や熟語、言い回しなど、出題者の意図が入っているということがわかりました。同じような内容を報じている記事をwebで見つけましたが、出典と同じであることはなく、出題者は、試験問題として再構成し、英検1級に求められるようなレベルの語彙からなる文に仕立て直している....と理解しました。

ということは、過去問をしっかり勉強し、求められる傾向を確実に捉えて対策を講じ、それを実行することができれば、受からないはずがない、ということです。
(受かる前の断言は、空虚なものですが、こうやって自分を駆り立てています)

これまでは、「あれは難しい」とか「普段使わないような単語を勉強することに意味があるのか」などと言って、有効な勉強をしていないこと、しっかり時間をとっていないことを正当化していました。
また、たとえ勉強をしたとしても、合目的的には、非常に遠回りな勉強をしてきたことにようやく気がついたわけです。

目標を見据えて、勉強する対象・教材を絞り、自分のものにする訓練をひたすら行う、それができなければ受かりません。

これからが、勝負です。
”毎日欠かさず勉強する。最低30分!!”


      2011/01/01

      2011 年賀状

      あけましておめでとうございます。

      至福の小学校の勤めも昨年三月で終り、いまは、 黒部川の扇状地と千葉を行き来して、あたま--明るく、楽しく、前向きに--を鍛える修行をしています。


      頭だけに依存する

      • 家事や片付けが先か自分のやりたいことが先かを決めるために、プロジェクト・マネジメントの手法や「もしドラ」を適用してみたり、
      • 「白熱教室」よろしく、家の周りの杉の木(*)を伐る のが正義かどうかを考えたり、
      • 時間を節約するために入手したiPadやiPhone、Kindleに 時間を奪われたりする、

      過ごし方よりも、

      • 七月から始めた「越中おわら節」のレッスンで、声を 張り上げて汗を流したり、
      • 炎天下、幼馴染の指導・協力のもと、畝を作り、種を捲 き、水をやり、「間引きが必要なのは、種が互いに競争 して育つかららしい」という説に耳を傾けたり、
      • 「今はまだ去年か」などと問う老母との禅問答 等々、

      人との触れ合いを伴う活動の方が、あたまを、よりよく 働かせてくれると実感しています。

      本年も、よい年でありますよう、お祈り申し上げます。

      平成二十三年 元旦

      *風に飛ばされた杉の枯れ葉の始末は、 シジフォスの神話のような繰り返し作業。
      木を伐ってしまえば、後片付けの仕事は無くなるものの、
      この地を冬の嵐からずっと守ってきた杉は、 樹齢百年を超えるものもあり....