2014/03/21

妄想 それとも 暴走


NHK「課外授業 ようこそ先輩」という番組で、林真理子"先生"が、"妄想”をテーマにし、子どもたちへ「十年後のシンデレラ」の世界を妄想した物語を書くように、との課題を出す、というのをやっていました。
中学時代、ひどいイジメにあい、その危機を“妄想”の力で乗り越えられたそうです。
エンターテイメントとしては面白かったのですが、教育現場、そして、NHKということを考えると、言葉としては、妄想*よりも、想像あるいは空想、連想、夢想、あたりが適切ではないのかなと思いました。

個人のあたまの中だけで閉じている妄想は、たとえ表に出ても害がなければ許されるのでしょうが、それが癖になると困ります。
ヒトのあたまの仕組みは、自覚している妄想であっても、温めすぎると、虚像と実像の区別が本人でも分からなくなってしまうことがよくありますからね...
(エッ、どこかの市長さんのような発想になっていますか?)
*妄想  ( 出展Wikipedia)
妄想(もうそう:delusion)とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。
妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(むしろ病識がない)場合が多い。精神医学用語であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であるということや、経験、検証、説得によって訂正不能であるということ、内容が非現実的であるということが特徴とされている。
日常的な会話でも用いられることもあるがそのときはいかがわしい考えや空想を表し、必ずしも病的な意味合いを含むわけではなく軽い意味で使われている。

小説や映画などは、本当に見せかけた嘘のストーリーでも問題はない、しかし、その嘘が実話の世界で展開されるとなると、話が違う...ということですかね。
明らかに嘘とわかる、あるいは、その嘘を見破ることができればニコニコしていられますが、本当だと思っていたものが実はそうでないということが分かったら、だまされた、と言って怒り出すか、気分を悪くします。
しかも、いい話だ...と気を許して、感動さえしていたわけですから。

"願望"も注意を要します。特に、歳をとってくると...
こうなりたい、こうしたい、という気持ちは、子供や若い人、とっては"夢"ですが、いろいろ経験を積んでひねくれてくると、許されないとされることであっても、それを実行する人がいっぱい出てきます。

先日、友人あてのメールに、次のように書いていたことが、今私の頭を悩ませています。

4月の初めごろは、少なくとも千鳥ヶ淵の桜を撮りたい、よいレンズか、よいカメラで....と思うと、あれこれ悩みます。
初めはちょっとした夢ぐらいだったのが、今は強い願望となり、なけなしの貯金を取り崩して買おうか、という妄想が走り出しました。
いや、暴走かな?

2014/03/16

確定申告締切前日のインターネット切断

まだ、確定申告書作成中です。

締め切りは明日。決算書作成がまだなのに、午前、インターネットの接続ができなくなって、さあ大変...
外は雨、風も強くなり、外と同じように、私の気持ちも低気圧..

実家(ADSL)では、ここ数年、インターネットの接続が時々切れることがあります。ほぼ一年前にモデムを取り換えてもらったというのに。
その後もよく接続切れが発生するので、気が向いたときに、つまり、気分が低気圧のときに、苦情の電話をしてきました。ほとんどの場合、電話をするときには回復しているので、様子を見よう...ということに落ち着き、そのままの状況が続いていました。

午前、故障受付に電話すると、「今(修理対応が)混んでいますから、明後日では...」という応答。
「とにかく明日までに作成して送付(e-Taxで)しなければならないのだから...」と、低気圧の私の、大きくなった声が幸いしたようで、しばらくして、修理の人がやって来ました。
その時には、いつものように接続が回復していました。

モデムにPCを接続して、何やら回線の検査をしている様子、
「インターネットの接続が切れるときは、必ず天気が悪い...」という私の声が聞こえたのかどうか、小さく唸るような声...

そして、「絶縁が悪いみたい。ちょっと、見てきます。」と外へ出ようとします...
「止まるのは困るんです! 止まるんならば、明後日以降にしてください。」
「10分でも?」
「10分ならいいです。」
「1時間は?」
「それも、いいです。」

しばらくして修理のおじさんが戻って来ました。
今度は大きな声で、自信にあふれた顔でした。
電柱の上の腐食した引き込み線を修理したそうです。
「混線状態になる寸前ぐらいだった...」

インターネット回復。
その後、決算処理の作業は、ほんの少しだけ進みました...
完了予定は、明日、午前、いや、午後...

ところで、誤解のないように言っておかねばなりませんが、青色申告といっても、町の写真展奨励賞ぐらいしか収入のない、自遊業の私の決算は、ただ赤字の処理をするだけです。

確定申告関連システム、当初、とてもとても、とっつきにくかったのですが、だんだん慣れてきて、このごろでは、税務の仕組みが分かったような気になり、"なかなかいいシステムである"と思えるようにさえなりました。(これは錯覚です。毎年、確認しています。)
それでも、e-Taxシステムは、毎年、進化しているように見えます。
毎年、買い替えを迫ってくるのを無視して使い続けている会計ソフト「弥生」にも、複式簿記の仕方を教えてもらって、感謝しております。
もう少し、使いやすさを求めますが...

バランスが取れるまで許してくれない複式簿記をやると、いろいろな意味でのバランスを取ることを考えたり、とんでもない方向に逸れて夢想している自分に気が付いたりして、楽しくさえなってきます。

ところで、ところで、こんなことをしている場合ではなかったのです....
続きはまた...

2014/03/12

ミラメイズ(立体迷路)

facebookで投稿した写真に写りこんでいた茶色の物体(建物)、3/15にオープンするミラージュランドのアトラクションで、迷路だそうです。先ほどのニュースで知りました。
5階建ての立体迷路で、ゴールまで25分ぐらいかかるとか。迷ったら、抜け出せる脱出口もあるそうです。
http://www.nice-tv.jp/~mirage/



私は今、脱出口のない迷路にはまって、1週間以上...

締切が迫っている確定申告の画面は、ずっと入り口のまま...
学生症候群にも陥っています。

さあやろうと思うと、カメラやレンズのことが気になってそちらの方に迷い込み、一向に進みません。

しかし、昨日、魚津漁港で初めてお会いした、ニコンD800に1360gもある80-400mm の望遠レンズをつけて軽々と歩いていた、蜃気楼研究会のTさんとお話したおかげで、少し糸口が見つかりました。

① D800Eかな...少なくとも、Dfは対象から抜けたかな...   そして、今は、必ずしも、フルサイズである必要はないかな...とも.. 
② D7100、または、D5300...でも..    添付のミラメイズの写真{上)は、D5200で撮った写真(下)から切り出したものですが、それなりに、しっかりと写ってます。    GPS、WiFiをつけたD5300が、Expeed4という新しい画像処理エンジンでどう進化したのか、あるいはしないのか、を確かめたくなりました。 
③ それとも、フルサイズ用の明るいレンズを先行投資...
④ 何もしない
確定申告が間に合って少し戻ってきたとしても、上記①②③のどれにもちっとも貢献しないので、今年の桜の写真は、今のままで行くしかない....というのが、落ち着く先でしょう。
いや、脱出口 かな ...

2014/03/10

物語 あるいは ストーリーについて

*千葉ロッテにドラフト一位で入団した石川歩投手をご存知ですか。この人、魚津市の出身です。魚津西部中学(中略)・滑川高校・中部大学・東京ガスを経て千葉ロッテに入団です。ドラフトで巨人とロッテが指名したくらいだからきっと活躍すると思います。


久しぶりに友人から便*(上記)が届いたのに、次のようなぶっきらぼうな返事を返してしまいました。対する返事はまだ来ていません...

とりつく島もない返事に、きっと、気分を悪くしたのでしょう...
富山にいるとき、ニュースとして耳に入ってきたような気もしますが、あまりあたまに残っていません。とてつもなく背が高いとか、同級生の息子であるだとか、何か物語があると関心が出てきて注目するようになるのですが...
物語を求めるのは、歳のせいですかね。
自分の物語は毎日それなりに展開しているのですが、よそさまに知らせたいというような事態は、そうそうおこりません。
それなら、意図的に物語を作れば材料になる...とばかり、昨日、魚津の海辺で写真を撮ってきました。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.508237985953311.1073741947.100003013410776&type=1&l=b117da9812
あとひと月もすれば、また桜を撮りに出かけたくなります。
4月の初めごろは、少なくとも千鳥ヶ淵の桜を撮りたい、よいレンズか、よいカメラで....と思うと、あれこれ悩みます。
この返事を書いたのは、3月5日。
私の返事の中に"物語"という言葉が出てきたのは、「現代のベートーべン」とされた人のスキャンダルを契機に、"物語" あるいは"ストーリ"という言葉が、テレビや新聞で頻繁に語られるようになって、それまで自分ではあまり具体的に考えたことがないその意味が、無意識にも自分の頭の中「モノガタリ」を作り、どこかでの出番を待っていたからに違いありません。

"物語" あるいは"ストーリ"という言葉がいつの新聞記事であったかを調べてみたら、2月27日と、3月3日のことでした。

  • 「物語」に囲まれて 浸りきってもいいのかな 作家・高橋源一郎
       (論壇時評) 朝日新聞    2/27/2014
  • 就職活動とストーリー 津村記久子
       (となりの乗客 )朝日新聞  3/3/2014

https://sites.google.com/site/itsumonooutlet/sutori-aruiha-wu-yu
(リンク先に、上記記事のコピーがあります)

では、なぜ、「歳をとると"物語"を求める?」と問えるのでしょうか?
歳をとるということは、あらゆるものの先がしぼんで見えるということです。恐ろしいことに、"そう見える"とは言っているものの、実は、本当に、すべてがしぼんでいくからです。
先がしぼんでいるからこそ、"この今を、大きく、張りのあるものにしたい..."と、だれもが望むのです。

物語を、まわりの人や世間が、本当に、認めててくれるようになるには、若さやお金、あらゆる資源が必要です。
しかし、その資源がしぼんでいるのです。

しかし、歳をとっても、平等に与えられている資源がひとつあります。時間です。
そこに気が付けば、しめたもの....

「現代のベートーべン」になる必要はありません。
"今"の自分が、自分のための自分のストーリーを自分で紡ぎ、自分だけでも"わくわく"できればいいのです。