2014/03/10

物語 あるいは ストーリーについて

*千葉ロッテにドラフト一位で入団した石川歩投手をご存知ですか。この人、魚津市の出身です。魚津西部中学(中略)・滑川高校・中部大学・東京ガスを経て千葉ロッテに入団です。ドラフトで巨人とロッテが指名したくらいだからきっと活躍すると思います。


久しぶりに友人から便*(上記)が届いたのに、次のようなぶっきらぼうな返事を返してしまいました。対する返事はまだ来ていません...

とりつく島もない返事に、きっと、気分を悪くしたのでしょう...
富山にいるとき、ニュースとして耳に入ってきたような気もしますが、あまりあたまに残っていません。とてつもなく背が高いとか、同級生の息子であるだとか、何か物語があると関心が出てきて注目するようになるのですが...
物語を求めるのは、歳のせいですかね。
自分の物語は毎日それなりに展開しているのですが、よそさまに知らせたいというような事態は、そうそうおこりません。
それなら、意図的に物語を作れば材料になる...とばかり、昨日、魚津の海辺で写真を撮ってきました。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.508237985953311.1073741947.100003013410776&type=1&l=b117da9812
あとひと月もすれば、また桜を撮りに出かけたくなります。
4月の初めごろは、少なくとも千鳥ヶ淵の桜を撮りたい、よいレンズか、よいカメラで....と思うと、あれこれ悩みます。
この返事を書いたのは、3月5日。
私の返事の中に"物語"という言葉が出てきたのは、「現代のベートーべン」とされた人のスキャンダルを契機に、"物語" あるいは"ストーリ"という言葉が、テレビや新聞で頻繁に語られるようになって、それまで自分ではあまり具体的に考えたことがないその意味が、無意識にも自分の頭の中「モノガタリ」を作り、どこかでの出番を待っていたからに違いありません。

"物語" あるいは"ストーリ"という言葉がいつの新聞記事であったかを調べてみたら、2月27日と、3月3日のことでした。

  • 「物語」に囲まれて 浸りきってもいいのかな 作家・高橋源一郎
       (論壇時評) 朝日新聞    2/27/2014
  • 就職活動とストーリー 津村記久子
       (となりの乗客 )朝日新聞  3/3/2014

https://sites.google.com/site/itsumonooutlet/sutori-aruiha-wu-yu
(リンク先に、上記記事のコピーがあります)

では、なぜ、「歳をとると"物語"を求める?」と問えるのでしょうか?
歳をとるということは、あらゆるものの先がしぼんで見えるということです。恐ろしいことに、"そう見える"とは言っているものの、実は、本当に、すべてがしぼんでいくからです。
先がしぼんでいるからこそ、"この今を、大きく、張りのあるものにしたい..."と、だれもが望むのです。

物語を、まわりの人や世間が、本当に、認めててくれるようになるには、若さやお金、あらゆる資源が必要です。
しかし、その資源がしぼんでいるのです。

しかし、歳をとっても、平等に与えられている資源がひとつあります。時間です。
そこに気が付けば、しめたもの....

「現代のベートーべン」になる必要はありません。
"今"の自分が、自分のための自分のストーリーを自分で紡ぎ、自分だけでも"わくわく"できればいいのです。

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