2009/07/24

友の命を救う

7月24日午後2時ごろ、N君(中学・高校の幼馴染)の実家を訪れ、畳の上に倒れている彼を発見し、救急車を呼び、病院に送り出しました。
動けなかったものの、意識はあったので、低血糖だろうと思っていたのですが、結果としては脳梗塞ということです。
私と会う約束をしていたことが、命拾いになりました。

私の母は、亡くなったN君のお母さんと仲良しの友達で、小学校のときに彼の担任であったこともあり、彼も私の母に会いたいと言っていたので、彼を私のうちにつれてくることにし、足の便がない彼を、約束の時間の10分前に迎えに行きました。
昨年の夏、彼のお母様がなくなってから、彼の実家は、誰も住んでいません。
彼は、お母さんの法事(7/25予定)のために千葉から帰ってきていました。

呼び鈴を押しても応答がありません。もう一度押してみても反応がない、けれども、中に人の気配はするので、変だな、と思ったものの、準備に手間取っているのだと思い、しばらく待つことにしました。
普段は留守宅のはずなのに、家の中も外も、きちんと掃除が行き届いています。
"ふーん、きれいにしているんだ(=住人がいるにもかかわらず、ぜんぜん片付かない私のうちとは大違いだ"

"呼び鈴”と書いたボタンが玄関の中に1つ、押してみると、「うーん」とか言う声がするので、"明日の法事の用意のために何か忙しさが残っているのかな、.あるいは、お昼を食べそこねたので何か急いでつまんでいるのかしら..." あるいは...「オオ~イ、起きてるか ?」と少し声を大きくすると、「うーん」とか、ガサガサという音。

明快な反応がない分だけ、なんだか踏み込んではいけないような気がします。玄関のドアの外側に、それとは別に、本玄関への入り口を覆う雪よけの外玄関の脇に、3つ目の"呼び鈴”ボタンを発見。今度はそれを押してみました。
...

その不思議な沈黙は、やはり、何か中に入るのをためらわせる。
何十年も前に、雑踏の駅で待ち合わせをしたことなどを思い出しながら、もう少し待ってみようと思って玄関の外へ。

家の前の車一台の幅の道路の向こう側は、たんぼの稲の、穂を出す手前のたくましく濃い緑が連なっていて、静かにそよいでいます。
(う~ん、やはり、おかしい)、取って返して、家の中に入りました。

N君がテーブルの横に仰向けに寝、テレビがついていて、扇風機も回っています。「酔っ払っているのか?」返事がよく聞き取れないので、近くによってみると焦点が定まらない、うつろな目。動けないようだ。お漏らしもしていて、とにかく、ただ事ではない!

彼は糖尿病だといっていたので、低血糖を想定しました。糖が足りないのかもしれないから、と思い、かってきた饅頭を食べさせてみました。がうまく食べれません。甘い飲み物があればと思い冷蔵庫を開けても、飲み物は缶ビールのみ。

発音が不明瞭でよく聞き取れないけれども、話しはできるので、要望どおり、椅子に坐らせたり、トイレに連れて行ったりする中、救急車を呼ぶのが一番と判断しました。今から思うと、もっと早く、そう判断したほうがよかったと反省していますが。

しかし、そこからがまた大変でした。

救急車を呼ぶにしても、妹さんなどの、この事を知らせる電話番号などを事前に調べなければいけません。家の中にはなし。では、お隣の本家にと思ってたずねてみたものの、お留守。どこに行ったか分からない携帯電話を、ようやく見つけ、さあと思ったら、充電切れなので電源につなぎ、やっと連絡が取れました。

そしてようやく119番。
(携帯電話で119番すると、一番近くの消防署につながることを、確認しました。)

そうこうしているうちに、お隣の方々が戻られ、手分けして、救急車到着までのあれこれ準備をすることができました。

一方、私は、家に母をおいてきているので、N君と私を待っている母に、この事態を告げる必要があったのですが、携帯電話、固定電話で連絡を取ろうとするものの、こちらもずっと応答しないので、何かあったのかと気がかりです。

救急車が発車する前、救急隊員が、本人の住所当確認ができるもの、免許証などがないかというので、お隣のご主人が家に入り、取ってきてそれをもって救急車に乗り込みました。

救急車の後について私も黒部市民病院へ行くつもりだったのですが、同じく救急車の後について行こうとしている隣のおばさんの携帯に連絡が入り、救急隊員に渡されたその免許証は、私の免許証であったことが、判明。家の中を探すと、彼の財布と、その中に免許証が出てきました。ついでに、私の財布も。

隣のおばさんは、私は免許不携帯だから、病院にはいかないように、免許証は後で届けるとおっしゃいます。私も、母がどうしたのか気がかりで、その提案を受け入れることにしました。

家に帰ると、玄関に、「郵便局にいってきます。」と置手紙。
郵便局までは、1kmぐらい。昨年夏までは、足こぎ三輪車(80歳ぐらいまでは二輪 自転車でしたが、それ以降) で週に一回ぐらいは買い物に行っていましたが、今はもう三輪車は無理です。
歩行補助の手押し車でのろのろと一人で夏の午後3時を歩くのは危険です。あわてて、免許証不携帯で、追いかけ、帰路にあった母を無事保護しました。

夕方6時半ごろ、N君の義弟さんが我が家を訪れ、脳梗塞であったということを、知らせてくれました。
救急車を見送ったときは左手がよく動かないようだったけれども意識はしっかりしていたので、それ以上悪くならないことを祈ります。

今、一緒にすごした1時間以上の詳細は分かりませんが、入院先は黒部市民病院なので、癒しになるならば、私はいつでも駆けつけるつもりです。

1 件のコメント:

  1. 友の命を救う の 8/11 あれから2週間あまり、右脳をやられて、左手はグーができるけれどもチョキができなく、左足は寝ていて腿を上げることはできるけれども立つことができないN 君は、先週からリハビリをはじめました。 はじめのころは彼のはっきりしない発音と、私の耳の聴解力障害が掛け算して、頓珍漢な会話だったものが、今は会話になっています。 親戚、幼馴染はもちろん、私の他に、I君(高校の同級生、京都で設計事務所の社長をしておりやたらと出張が多い)が出張の足を伸ばして毎週のように見舞いにくるので、千葉で入院するよりは治りがよいのではと思います。 昨日は、母を連れて見舞いに行き、彼の状況にヒットするかどうかはわかりませんが、読みかけの「奇跡の脳」を置いてきました。 この本は、脳科学者である著者が、自分の脳卒中の発病からリハビリの過程を書いているもので、著者の経験は5月にNHKの番組でも取り上げられました。

    as of 2009年11月27日21:58を編集

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