2009/07/03

川淵三郎さん

次の友のメールがきっかけで

掲載の許可をまだ得ていないのですが...

日本サッカーは野球を凌駕するグローバルかつローカルなメジャースポーツに大発展をとげました。 私がF社に入社した1971頃、O1氏のドイツサッカー留学の社内報報告などを読み、かの国では地域スポーツとして住民サポートの下に存在していると知った記憶があります。 

当時、F社サーッカー部員と話するとサッカーはマイナーなスポーツとしてひっそり打ち込んでいるというつもり人がいましたっけ。その後、企業として単独で丸抱えできないプロリーグ環境に移行しJRとの共同サポートのブランドチームとなってゆきます。地域は市原を冠していますが事業リストラの進んでいる埋め立て工業地区とその隣接居住地区、ゴルフ場数を誇る市原市民にどれほど愛され続け得るか?JEF市原会報が配布されていますが選手の名前をちらほら確認するほどの関心でしょうか。

私は超有名人である川渕さん本人とは直接の面識はなく同期であるO2氏の退任パーティスピーチで、ユーモアを交えてJEFの財政支援の歴史に触れられたのを記憶しています。 JEFの海外出張など運営コストも大変だったのではと思った次第。

ご本人の娘さんは当社に勤務されていてもう一人のやはりプロポーションの良い美人と二人で丸の内仲通りを歩行するとすれ違った人はたいがい振り返ったもののようでした。 私はこの二人とは仕事でなじみがありましたので (中略)

サッカーのメジャースポーツ化に川渕氏や長沼健氏を含む何人かのF社関係者が貢献した歴史はたいへんなものと思います。ただ歴史あるものには腐朽部分もででくるわけで、マスコミの餌食とならないよう注意してほしいものです。


今朝、たまたまNHKの朝の番組 で川淵さんの特集番組を見、この人が好きになりました。

「この人にトキメキっ! 川淵三郎さん」 8:35-9:2

”じっち"に宛てた孫からの手紙をアナウンサーが読んだとき、大粒の涙を流しているその姿に、思わずもらい泣きしてしまいました。手紙の朗読が始まるや否やウルウルしていた目から、差別のない社会を作りたい、というお孫さんの理想とすることの紹介が読まれたときだったと思いますが、大粒の涙が滲み出し、頬をっつたう様子が大写しになり、涙をぬぐいながら笑顔で孫をほめているところに、私も感激してしまいました。肝炎で体調を崩した奥さんを助けるために始めたという料理の紹介として、今朝5時に起きて作ったジャガイモとピーマンの炒めを、アナウンサーが味わっていて、その料理の紹介も面白いと思いました。

奥さんは、ジャガイモ炒めは、ジャガイモを少し固めにした方が良いといって教えてくれたのだが、自分が作るようになってからは、自分の好みに合わせてやわらかめに作ってきた。
今朝、今日の番組で実際に氏が作るものを試食するということが分かったときに、奥さんは、「固めの方が、舌触りが良いのでは...」とこの2年間言わなかったことを言ってくれたそうです。
でも、氏は、自分好みのやわらかめのものを作ってきた...

Jリーグ立ち上げの時、企業名を伏せ、地元の人たちのためのチーム作りを掲げた基本理念に対し、当時の読売新聞渡邊会長から、ワンマン、ヒットラー、ムッソリーニ、スターりンといって非難を浴びせられたことを、逆境をチャンスに変えてやってきた...やがて自分の古希ののとき渡邊さんからお祝いの言葉をいただいてとてもうれしかった...という番組始めのエピソードの紹介をおもしろく思わなければ、途中でスイッチを切ったかもしれません。

今日は金曜日、これまでは、水曜日が休日だったのを、7月から、金曜日を休みにしたため、たまたま見た番組の登場人物のことが、なぜ、今日、話題になったのでしょうか?

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