10月から、入善町の2つの小学校、N小学校とI小学校で、小学校外国語活動協力員の勤めを開始し、子供たちとのふれあいを楽しんでおります。
二つの小学校とも、インフルエンザが入ってきて、2年、3年あたりがかかりやすいらしく、学級閉鎖や教室での給食の措置が取られています。
これから、さらに増えていくだろうということです。
10月30日、黒部市民病院からの帰り道、黒部川の権蔵橋をわたったとき、小学校のころ、授業を放り出して、先生が川原にはグミとりにつれていってくれた楽しかったことを思い出し、母と一緒に川原に下りてみました。砂利道のそばに、昔と同じようにグミが群生し、赤い実をたわわに稔らせていました。数粒をそっとむしりとってほおばってみると、ちょっぴり苦くて甘い味がします。昔のままの味です。もっとおいしいのはないかと、グミの木をわたり歩いて、おいしいものは手のひらいっぱいに握りとり、その味、色を、楽しみました。午後2時過ぎ、白馬岳を代表とする後立山連峰の稜線と、そこにつながる紅葉を抱えた美しい秋の山々を望みながら、老母とグミ狩りを楽しむ至福のひと時でした。
11月3日、文化の日、N君に、グミのお土産を持っていきました。彼は、早速1~2粒つまんで口の中へ...
5日前に"至福"と思ったとき、N君に、高校の帰り道に一緒に道草をした彼に、このグミを持っていってやりたいと思ったことが、やっと叶いました。
その日の朝、NHKの番組で、介護教室の先生が、介護のこころについて、「何かをしてあげる」のではなく「自分がしてあげたいことしなさい」と説いていました。その若い女性の先生は、わがままな母の介護をした時、やさしい気持ちになれなかった自分が、父の母に対する態度を見て、気持ちの大切さに気がつき、それによって自分(のこころ)が変わると、お母さんも変わったというのです。
この番組を見なければ、N君にグミを持っていってあげたいと思った気持ちが、本当に実現したかどうかわかりません。
11月3日は、数日前の冬型の天気も落ち着いて、川原は再び温かい陽気でした。山々は、5日前と同じように美しい稜線をくっきり見せていました。白馬岳がすっかり雪をかぶったところだけが、前と違っているようでした。
丸川病院で、ロコモティブシンドローム(彼は、この番組を見て、腰痛など、これが自分の持っていた障害をぴったり解説している、いい番組であったと力説)などの話しをしているときに、N君の妹さん夫婦がお見舞いにやってきて、二人とも珍しそうにグミを2~3粒手に取りほおばってみせました。食べると、翌日、便秘する、などと言いながら...
What is going on in my mind ? It's a sort of concoction of what you have experienced directly or indirectly so far and what you intend to do at this moment.
2009/11/10
2009/09/15
リハビリテーションの効果
友の回復を友に告げるメールの抜粋
4時間目の算数の授業の補助が終わってから急いでメールを書いたものの、結局、「いただきます!」に遅れてしまいました。
N君のリハビリテーションは順調で、ベッドの上に腰掛けて30分以上しゃべれるようにもなりました。
しかし、ひざと、ひじに、傷跡とかさぶたがあって、先週あたりのようですが、夜、部屋の中で倒れたそうです。幸い、同室の方が自分用の緊急ボタンを押して助けを求め、大事に至らなかったとのこと。
もっと回復して、仕事にも復帰できた場合、松戸駅のラッシュ・アワーに階段を上ることは恐怖である、とも言っていました。
泊、丸川病院2階の病室窓から南を眺めると、左手には、後ろ立山連峰の裾野と思しき小高い山が連なり、裾にもつ宮崎城址を包む、もこもこした右上がりの緑の山々を見ながら、彼は、上杉謙信がこの山を超えようとしてのだ、というように、思いを馳せるのだそうです。
私は、週二回は、若栗城址の間を通り抜けてO小学校に通っていますが、思いを馳せるべく情報の蓄積が不足しているので、感慨に浸ることはありませんが、彼が言うところの近くの有名な寺らしき長安寺もすぐそばであり、黒部市の小学校の期限が切れる9月末までには、じっくり訪れて探索してみようと思います。
丸川病院の南には、窓からの山の眺望をさえぎる坂東病院がすぐ近くに)あり(50mぐらい?)、そこには高校同級生のT氏が医師として勤めているという情報もS君から聞きました。
朝日町の町長は、魚津という人で、同姓の魚津という後輩が魚津高校におり、かつて京都で交友があったが、......云々かんぬん
2009/08/22
家族のいい訳
お友達から、次のメッセージをもらった(8/10)のをきっかけに、『家族の言い訳』を読むこととなった。
「得たものがたとえわずかであったり、たとえ、あきらめであったりしても、無駄なものはひとつもない」は至言ですね。
昨日読んだ芥川賞受賞作『終の住処 』の作者も、受賞者インタビューの中で似たようなことを言ってっていました。
『家族の言い訳』 森 浩美 著
森さんは、SMAPの♪青いイナズマ♪などの作詞家さんだそうです
あとがきに「薄情で軽薄な世の中になったとはいえ、家族との絆は深く重く、そして厄介で面倒な代物である。希望やあきらめ、下ろすに下ろせない荷物を背負うがごとく、誰しもが日々のなかで共生している。
淡々とした悲しみや切なさ、ささやかな幸せの確認。・・・そんな場面を切り取ってみたかった。」とあります。
本日、「家族の言い訳」を手に入れ、はじめの2編を読み終えたところで、この作者のことが知りたくなり、調べてみて、男性であることに意外性を感じました。女性と思ってしまったのは、名前と、第1話に関し解説でNHKのアナウンサーたる人が熱のある子供の描写のリアリティーに感心していたのが大きな理由ですが、男性だと分かれば、納得の折り目を多くつけた第2話のストーリーにより共感したのもさもありなんです。女性の言葉だと思ったからこそ、惹きつけられた面が多々あるので、そこに自分を知る鏡の要素があります。
「得たものがたとえわずかであったり、たとえ、あきらめであったりしても、無駄なものはひとつもない」は至言ですね。
昨日読んだ芥川賞受賞作『終の住処 』の作者も、受賞者インタビューの中で似たようなことを言ってっていました。
-なぜ時間や過去に文学のテーマが定まっていったのでしょう。
磯崎:ある人がこの世を去った時、何が残ると思いますか。...その人が生きた具体的な時間しか残らないような気がしてならないんです。...その人が生きた時間は、決してほかのものに置き換えることができない。...過去こそ消しがたい。それが..「過去に守られている」という感覚です。
若いころ、楽しい過去と明るい将来の狭間の中でいつも現在を嘆いている自分に気づき、「大事なのは過去でも未来でもない、今である」と自分に言い聞かせたことがあります。まだ世の中が見えなかったころ、今となってはたわいもないことすべてに悩んでいたものです。以来、"谷間"にいると感じたときは、これを"頂上"と見なければいけないとし、それが一期一会ということなのだと解釈して、そのようにしてきたつもりなのですが、それでも、巻頭言の言葉に、必要でないところで言い訳をし、必要なところで言い訳をしてこなかったのだな、と考えさせられました。
登録:
投稿 (Atom)