2010/09/23

尖閣諸島事件にちなんでわがアナロジー

2日前の敬老の日、我が家の前のあぜ道に長くのびた草が草刈り機で刈り込まれ、刈られた草片が家の前のアスファルトの道路に散乱したままでした。

昨日も、草は依然としてそのままでした。

「これは”領土侵犯”であり、抗議をしなければならない」
草を刈った人は掃除をしようと考えてもいないのでしょう。前もそうでした。汚れた道路を掃いてきれいにする母を目の前で見ていても、汚した後始末をしようとしなかったのです。

「草は肥やしになるからとそのまま放っているのかもしれないが、舗装の道に肥やしは不要。他人の家の前を汚しておいて、掃除をしないとは、無神経すぎる。でなければ、いやがらせでしかない。」

私が掃除をするとすれば、10分ぐらいで済むでしょう。しかし、「私にはすることが沢山あって、人が汚した道路を掃除する暇などない。」
掃除をするための動機づけとして、先日書いたことのある、(掃除をしたあとの)「あるべき姿」のイメージづくりは、ここでは役に立ちません。

「中国のようにストレートに物言いするのも品がない。今度、草刈をしているのを見つけたら、その場で言うのが一番...」
そうブツブツしながら、結局は、熊手で、大きな草をさっとさらいました。

草が散らかって領土侵犯になるなら、毎日いたるところで戦争が起こるでしょう。
「日本人は、道路がきれいと外国人に驚かれるほど近隣の公の場をきれいにするのが当り前であり、ましてやし、他人の家の前を汚したのであれば、きちんと元のままにするのが正義である。」と自分の正義(または国内法?)をかざしてつっぱり、関係をこじらしてもよいほどの大事でもありません。

今日、強い風が、草を吹き飛ばしました。そして、ただいま現在、雷を伴った大雨が、残った草のすべてを洗い流しています(と思われます)。

こんな風にあれこれ思ったのも、モグラの穴や水の管理の怠りで、その田んぼのあぜのから再三水が漏れこの道路を汚したことに不満を持っていたことの表れでした。

自分に、相手を悪く思う気持ちがあれば、それは、必ず相手に伝わります。
水が流れたのは、モグラや雨で増水したからで、あの人が手を下したわけではありません。
あの人については、いいところを見つけることにしましょう。

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