2009/12/10
2009/12/04
枕の草子の世界
昨日か一昨日お見舞いに きたI君のお土産”阿闍梨餅(あじゃりもち)”(京都の銘菓だそうです)”がとてもおいしかったというので、そうきたかとばかり、かくし持ってきたお菓子を取り出し差し出しました。彼は、見つかったら没収されるといいながら、笑顔で、それを秘密の場所に隠しました。
芭蕉がどこをどう通ったかをそらで言えるようになりたいという彼は、訪れるといつも「奥の細道」を手にしていて、紙の色がくすんだ、よれよれの文庫本には付箋がたくさんついています。
今日は、松島の風景を描写しているところ がすばらしいと、ページをめくって見せてくれました。
じっくり味わった人ほどにその古語が連なる描写のすばらしさをイメージできるはずもありません。 替わりに、次のように返答しました。
実際にこの景色を見ながらだったら、もっとわかるだろうね。美しいものは良い。ここ黒部扇状地の景色もすばらしい。火曜日の朝、車でI小学校に向かう時の美しさには思わず涙が出るくらいだった。
今週初めは快晴の空が続き、朝晩のひんやりとして澄んだ空気は薄い青の空に抜け、刈り取りの終わったたんぼが山吹色、薄い褐色、緑に彩られ、黒部川扇状地を取り囲む山々を背にして、遠く富山湾を超えて能登半島が見えるパノラマの中に入り込んでいく時、風景を形作っているすべてが、息を呑むほどの美しさで輝いていました。
その日の宵もすばらしく、夕方5時すぎ、東の山の上に満月の前の日の月---小望月(こもちづき)というそうですが---が雲ひとつない空にボ~ンと出て明るく光リ、今朝見た景色を透き通った陰影で覆いました。
彼も病室からこの同じ空気の美しさを眺めていたようで、「『枕の草子』の世界だな」とコメントしました。
2009/11/10
黒部川原のグミ
二つの小学校とも、インフルエンザが入ってきて、2年、3年あたりがかかりやすいらしく、学級閉鎖や教室での給食の措置が取られています。
これから、さらに増えていくだろうということです。
10月30日、黒部市民病院からの帰り道、黒部川の権蔵橋をわたったとき、小学校のころ、授業を放り出して、先生が川原にはグミとりにつれていってくれた楽しかったことを思い出し、母と一緒に川原に下りてみました。砂利道のそばに、昔と同じようにグミが群生し、赤い実をたわわに稔らせていました。数粒をそっとむしりとってほおばってみると、ちょっぴり苦くて甘い味がします。昔のままの味です。もっとおいしいのはないかと、グミの木をわたり歩いて、おいしいものは手のひらいっぱいに握りとり、その味、色を、楽しみました。午後2時過ぎ、白馬岳を代表とする後立山連峰の稜線と、そこにつながる紅葉を抱えた美しい秋の山々を望みながら、老母とグミ狩りを楽しむ至福のひと時でした。
11月3日、文化の日、N君に、グミのお土産を持っていきました。彼は、早速1~2粒つまんで口の中へ...
5日前に"至福"と思ったとき、N君に、高校の帰り道に一緒に道草をした彼に、このグミを持っていってやりたいと思ったことが、やっと叶いました。
その日の朝、NHKの番組で、介護教室の先生が、介護のこころについて、「何かをしてあげる」のではなく「自分がしてあげたいことしなさい」と説いていました。その若い女性の先生は、わがままな母の介護をした時、やさしい気持ちになれなかった自分が、父の母に対する態度を見て、気持ちの大切さに気がつき、それによって自分(のこころ)が変わると、お母さんも変わったというのです。
この番組を見なければ、N君にグミを持っていってあげたいと思った気持ちが、本当に実現したかどうかわかりません。
11月3日は、数日前の冬型の天気も落ち着いて、川原は再び温かい陽気でした。山々は、5日前と同じように美しい稜線をくっきり見せていました。白馬岳がすっかり雪をかぶったところだけが、前と違っているようでした。
丸川病院で、ロコモティブシンドローム(彼は、この番組を見て、腰痛など、これが自分の持っていた障害をぴったり解説している、いい番組であったと力説)などの話しをしているときに、N君の妹さん夫婦がお見舞いにやってきて、二人とも珍しそうにグミを2~3粒手に取りほおばってみせました。食べると、翌日、便秘する、などと言いながら...
2009/09/15
リハビリテーションの効果
4時間目の算数の授業の補助が終わってから急いでメールを書いたものの、結局、「いただきます!」に遅れてしまいました。
N君のリハビリテーションは順調で、ベッドの上に腰掛けて30分以上しゃべれるようにもなりました。
しかし、ひざと、ひじに、傷跡とかさぶたがあって、先週あたりのようですが、夜、部屋の中で倒れたそうです。幸い、同室の方が自分用の緊急ボタンを押して助けを求め、大事に至らなかったとのこと。
もっと回復して、仕事にも復帰できた場合、松戸駅のラッシュ・アワーに階段を上ることは恐怖である、とも言っていました。
泊、丸川病院2階の病室窓から南を眺めると、左手には、後ろ立山連峰の裾野と思しき小高い山が連なり、裾にもつ宮崎城址を包む、もこもこした右上がりの緑の山々を見ながら、彼は、上杉謙信がこの山を超えようとしてのだ、というように、思いを馳せるのだそうです。
私は、週二回は、若栗城址の間を通り抜けてO小学校に通っていますが、思いを馳せるべく情報の蓄積が不足しているので、感慨に浸ることはありませんが、彼が言うところの近くの有名な寺らしき長安寺もすぐそばであり、黒部市の小学校の期限が切れる9月末までには、じっくり訪れて探索してみようと思います。
丸川病院の南には、窓からの山の眺望をさえぎる坂東病院がすぐ近くに)あり(50mぐらい?)、そこには高校同級生のT氏が医師として勤めているという情報もS君から聞きました。
朝日町の町長は、魚津という人で、同姓の魚津という後輩が魚津高校におり、かつて京都で交友があったが、......云々かんぬん
2009/08/22
家族のいい訳
『家族の言い訳』 森 浩美 著
森さんは、SMAPの♪青いイナズマ♪などの作詞家さんだそうです
あとがきに「薄情で軽薄な世の中になったとはいえ、家族との絆は深く重く、そして厄介で面倒な代物である。希望やあきらめ、下ろすに下ろせない荷物を背負うがごとく、誰しもが日々のなかで共生している。
淡々とした悲しみや切なさ、ささやかな幸せの確認。・・・そんな場面を切り取ってみたかった。」とあります。
本日、「家族の言い訳」を手に入れ、はじめの2編を読み終えたところで、この作者のことが知りたくなり、調べてみて、男性であることに意外性を感じました。女性と思ってしまったのは、名前と、第1話に関し解説でNHKのアナウンサーたる人が熱のある子供の描写のリアリティーに感心していたのが大きな理由ですが、男性だと分かれば、納得の折り目を多くつけた第2話のストーリーにより共感したのもさもありなんです。女性の言葉だと思ったからこそ、惹きつけられた面が多々あるので、そこに自分を知る鏡の要素があります。
「得たものがたとえわずかであったり、たとえ、あきらめであったりしても、無駄なものはひとつもない」は至言ですね。
昨日読んだ芥川賞受賞作『終の住処 』の作者も、受賞者インタビューの中で似たようなことを言ってっていました。
-なぜ時間や過去に文学のテーマが定まっていったのでしょう。
磯崎:ある人がこの世を去った時、何が残ると思いますか。...その人が生きた具体的な時間しか残らないような気がしてならないんです。...その人が生きた時間は、決してほかのものに置き換えることができない。...過去こそ消しがたい。それが..「過去に守られている」という感覚です。
若いころ、楽しい過去と明るい将来の狭間の中でいつも現在を嘆いている自分に気づき、「大事なのは過去でも未来でもない、今である」と自分に言い聞かせたことがあります。まだ世の中が見えなかったころ、今となってはたわいもないことすべてに悩んでいたものです。以来、"谷間"にいると感じたときは、これを"頂上"と見なければいけないとし、それが一期一会ということなのだと解釈して、そのようにしてきたつもりなのですが、それでも、巻頭言の言葉に、必要でないところで言い訳をし、必要なところで言い訳をしてこなかったのだな、と考えさせられました。
2009/08/20
『終の住処』を読んで
読んでいたときの私の感想:
- 小説の中の状況や景色の表現の一つ一つに、作者がそれまでの人生で経験したことが50%あるいは100%誇張されて表現されているような印象がする。
- スジは徐々におもしろくなってきたが、そのことよりも、個々のディテールが目立ち、行き過ぎな表現だとは思いながらも、そうだそうだとうなづく。
- 小説家は、こうしたディテールを常日ごろ部品として使えるように準備していて、作品としての製品を作る過程で、これらを加工・微調整しながら、全体の中に配置し納めていくのだろうな。
- おもしろかったのは:
妻と娘と一緒に遊園地に行った翌日から11年間、妻との対話をしないでいたのに、「家を建てよう」という言葉が、停止していたビデオ・テープを開始させるボタンのように働いて、再び家族の生活が始まる、というところ。
その後読んだ選評は、そういう捉え方もあるのかという選者の視点がおもしろく、そこから、選者の人となり考え方が伝わってきました。
さらに、受賞者インタビューでは、三井物産に勤めるというサラリーマン作家の人となりや小説にこめた意図などを知ることができ、久しぶりに気持ちのよい朝になりました。
小説は、書いた人、選んだ人を知るためのものかもしれない
などと思ったすぐ後で、いやその前に、それを読んで、そこから何を感じるか、考えるかという、自分を知る手立てなのだ、と思いなおしました。
『終の住処』の書評等: お勧めというわけではありませんが、参照した記録として。
2009/08/22 11:06
http://www.book.janjan.jp/0907/0907217521/1.php
http://ameblo.jp/tonton3/entry-10312377910.html
http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20090517/1242574247
http://pokemon.at.webry.info/200908/article_14.html
http://blog.livedoor.jp/nina313/archives/51293890.html
http://book.akahoshitakuya.com/b/410317711X
http://www.honsagashi.net/bones/2009/08/post_1564.html
http://blogs.yahoo.co.jp/gogokoniyan/49165706.html
http://essaysinidleness.net/review/bookreview/20090725001343.html http://saysei.blog.drecom.jp/archive/1097
http://natsuo-omodaka.no-blog.jp/qualia/2009/08/post_4c4d.html
http://www.honnomushi.com/review/2009_08/0003.htm
2009/08/10
さとうきび畑
以上が、8月8日の経験だったのに、本日、8月9日、同じレコードを聴いても、そのとき感じた感動の追体験はできませんでした。
記事に見入りながら、指でぬぐってはじめて、涙が流れていることに気がついた。
買い物ついでにCDを借りてきてiPodに入れようと思ったとき、そういえばこの家のどこかにCDがあったような気がして、探してみると、ちゃんとあるではないか。
♬ざわわざわわ ざわわざわわ ざわわざわわ....♬私は、背の高いさとうきびの畑に入って、緑の波がうねるのを見、夏の陽ざしの中を通りぬける風を感じる。
このうたは、そのリアルな情景のイメージだけではない、もっと深いものを聴くものの心に運んでくる。
外は雨。梅雨明け宣言もされたのに、北陸では長い梅雨がまだ明けない。 「このうたはカッと暑い夏の日ざしの中で聴くうただな」などとコメントしながら、涙が止まらない。
作詞作曲の寺島尚彦さんは、34歳の時、『住民を否応なく地上戦にまきこんだ沖縄戦を伝えるため、音楽家として作品を残す、と思い至った』そうだ。そして、『受けた衝撃を言葉や曲に表現するまで3年近い時間がかかった』という。
思いを、このようなかたちで人に伝えられる、なんとすばらしい芸術家だろう。自分は人に何を伝えられるだろうか? ....ない。ないけれども、このうたのすばらしさを感じて、それを喜びとすることができる。それだけでいいではないか。才能がなくとも、表現したいことを持つことは、大切なことだ。お金がなくとも、心が豊かであれば、いいではないか。
さらに、思いはめぐる......
そして、苦しみがあるとすれば、明るく澄んだ声で歌えばいい。
2009/07/24
友の命を救う
動けなかったものの、意識はあったので、低血糖だろうと思っていたのですが、結果としては脳梗塞ということです。
私と会う約束をしていたことが、命拾いになりました。
私の母は、亡くなったN君のお母さんと仲良しの友達で、小学校のときに彼の担任であったこともあり、彼も私の母に会いたいと言っていたので、彼を私のうちにつれてくることにし、足の便がない彼を、約束の時間の10分前に迎えに行きました。昨年の夏、彼のお母様がなくなってから、彼の実家は、誰も住んでいません。
彼は、お母さんの法事(7/25予定)のために千葉から帰ってきていました。
呼び鈴を押しても応答がありません。もう一度押してみても反応がない、けれども、中に人の気配はするので、変だな、と思ったものの、準備に手間取っているのだと思い、しばらく待つことにしました。
普段は留守宅のはずなのに、家の中も外も、きちんと掃除が行き届いています。
"ふーん、きれいにしているんだ(=住人がいるにもかかわらず、ぜんぜん片付かない私のうちとは大違いだ"
"呼び鈴”と書いたボタンが玄関の中に1つ、押してみると、「うーん」とか言う声がするので、"明日の法事の用意のために何か忙しさが残っているのかな、.あるいは、お昼を食べそこねたので何か急いでつまんでいるのかしら..." あるいは...「オオ~イ、起きてるか ?」と少し声を大きくすると、「うーん」とか、ガサガサという音。
明快な反応がない分だけ、なんだか踏み込んではいけないような気がします。玄関のドアの外側に、それとは別に、本玄関への入り口を覆う雪よけの外玄関の脇に、3つ目の"呼び鈴”ボタンを発見。今度はそれを押してみました。
...
その不思議な沈黙は、やはり、何か中に入るのをためらわせる。
何十年も前に、雑踏の駅で待ち合わせをしたことなどを思い出しながら、もう少し待ってみようと思って玄関の外へ。
家の前の車一台の幅の道路の向こう側は、たんぼの稲の、穂を出す手前のたくましく濃い緑が連なっていて、静かにそよいでいます。
(う~ん、やはり、おかしい)、取って返して、家の中に入りました。
N君がテーブルの横に仰向けに寝、テレビがついていて、扇風機も回っています。「酔っ払っているのか?」返事がよく聞き取れないので、近くによってみると焦点が定まらない、うつろな目。動けないようだ。お漏らしもしていて、とにかく、ただ事ではない!
彼は糖尿病だといっていたので、低血糖を想定しました。糖が足りないのかもしれないから、と思い、かってきた饅頭を食べさせてみました。がうまく食べれません。甘い飲み物があればと思い冷蔵庫を開けても、飲み物は缶ビールのみ。
発音が不明瞭でよく聞き取れないけれども、話しはできるので、要望どおり、椅子に坐らせたり、トイレに連れて行ったりする中、救急車を呼ぶのが一番と判断しました。今から思うと、もっと早く、そう判断したほうがよかったと反省していますが。
しかし、そこからがまた大変でした。
救急車を呼ぶにしても、妹さんなどの、この事を知らせる電話番号などを事前に調べなければいけません。家の中にはなし。では、お隣の本家にと思ってたずねてみたものの、お留守。どこに行ったか分からない携帯電話を、ようやく見つけ、さあと思ったら、充電切れなので電源につなぎ、やっと連絡が取れました。
そしてようやく119番。
(携帯電話で119番すると、一番近くの消防署につながることを、確認しました。)
そうこうしているうちに、お隣の方々が戻られ、手分けして、救急車到着までのあれこれ準備をすることができました。
一方、私は、家に母をおいてきているので、N君と私を待っている母に、この事態を告げる必要があったのですが、携帯電話、固定電話で連絡を取ろうとするものの、こちらもずっと応答しないので、何かあったのかと気がかりです。
救急車が発車する前、救急隊員が、本人の住所当確認ができるもの、免許証などがないかというので、お隣のご主人が家に入り、取ってきてそれをもって救急車に乗り込みました。
救急車の後について私も黒部市民病院へ行くつもりだったのですが、同じく救急車の後について行こうとしている隣のおばさんの携帯に連絡が入り、救急隊員に渡されたその免許証は、私の免許証であったことが、判明。家の中を探すと、彼の財布と、その中に免許証が出てきました。ついでに、私の財布も。
隣のおばさんは、私は免許不携帯だから、病院にはいかないように、免許証は後で届けるとおっしゃいます。私も、母がどうしたのか気がかりで、その提案を受け入れることにしました。
家に帰ると、玄関に、「郵便局にいってきます。」と置手紙。
郵便局までは、1kmぐらい。昨年夏までは、足こぎ三輪車(80歳ぐらいまでは二輪 自転車でしたが、それ以降) で週に一回ぐらいは買い物に行っていましたが、今はもう三輪車は無理です。
歩行補助の手押し車でのろのろと一人で夏の午後3時を歩くのは危険です。あわてて、免許証不携帯で、追いかけ、帰路にあった母を無事保護しました。
夕方6時半ごろ、N君の義弟さんが我が家を訪れ、脳梗塞であったということを、知らせてくれました。
救急車を見送ったときは左手がよく動かないようだったけれども意識はしっかりしていたので、それ以上悪くならないことを祈ります。
今、一緒にすごした1時間以上の詳細は分かりませんが、入院先は黒部市民病院なので、癒しになるならば、私はいつでも駆けつけるつもりです。
4本足-2本足-3本足-4本足 なあに
60歳台は高校時代の回路に戻り、
70歳代は中学校、
80 歳代は小学校、
90 歳以降は幼稚園、保育所時代の能力・思考レベルに回帰する、
という仮説を立ててみました。
母の思考の構造、感覚領域が、毎日接している小学校の低学年と同じような感じであると思ったことから、子供の成長と老化の進行を対比して、自分がこの先どうなるのだろうと、先を思いめぐらしてみたのです。
20歳まで大人になる勉強・訓練をし、
30代に大人としてさらに成長し、
40代がピーク。
50代、60代は次の世代へ世代交代。
還暦前後で現役リタイア、第2の人生をはじめたり、旧交を温めたりしながら、さらにその先を眺め、模索あるいは突っ走る...
母も、80歳ごろにはメールも発信できたのに、85歳の昨年からはテレビのリモコンもうまく使えなくなり、86歳になった今は時間や空間・距離の感覚が受動的になり、自分で確かめられる身近な範囲、生活圏でしか、自分の世界を思いがめぐらすことができなくなっている....
小学校3年生、あるいは2年、1年の子供たちは、保護者・先生の保護のもと、与えられた環境をそのまま受け入れて、毎日学校に来て生活することの基本を学び、毎日の生活にそれなりに満足しているように見えます。
生きていること、存在していることそのものが、幸せに見えます。 自分が年をとって、今日の日付が分からなくても、生きていることに感謝できるような自分になれればと思います。
2009/07/17
小学校外国語活動協力員-その3
大変であったのは仕事そのものではなく、仕事の合間に、築55年の古い家に自分が生活できるような環境を順次整えながら、炊事・洗濯など、生活のための時間を毎日一定時間割かねばならないことでした。
18歳まで暮らした自分の部屋の黒ずんだビニール・タイルの拭き掃除から始め、オレンジ色に怪しく光る電球の電気スタンドを蛍光灯の明るいものに換え、本棚のとなりに積み重ねていた書類を100円ショップで仕入れたプラスチック製の書類ケースに収納し、それでも整理しきれない書類を縦にしたり横にしたり、あるいは、新しく購入したインクジェット・プリンターの上に積み重ねたりして、曲りなりにも何とか使えるようにしたものの、仕事を終えて帰ってからの食事の準備と後始末にはたっぷり1時間半はかかり、パソコンの前に坐る時は、家事に疲れて、あるいは、酩酊していて、頭が働かない状態がずっと続いたのです。
週末は、母を、ケアハウスから連れ出し、つかの間の、リハビリ支援。
いまや、孫たちの写真を見ても手助けをしない限り、それが誰であるかを認知することができないほどまで、識別能力が衰え、腰を曲げた歩行の能力も、良くて一年前の3分の1ぐらいになってしまいましたが、自分のうちに戻れば、生き生きとして、目が輝きます。
小学校の生活は、想像していた以上に楽しく、特に、子供と触れ合うときは、すがすがしい気持ちになり、エネルギーをもらって、若返ります。
週2日ずつの2つの小学校の生活は、英語の授業への参加以外に、算数の補助、生徒と一緒の給食、校外学習の付き添い、小遣いさん仕事など、おおむね似通ったことをやっていますが、140人規模の古い建物のO小学校は生徒がのびのびしており、270人規模の大きな4つの小学校が統合した開校5年目の最新の設備が整ったU学校の生徒はなんとなく硬さがあるような感じで、校風・学校の雰囲気、ルールなど、大小さまざまな違いがあり、おもしろいものだなと思います。私の仕事に影響するような違いもありますが、私にとってマイナスの作用をするようなものであっても、それも経験として明るく受け止め、楽しく、前向きに受け入れています。
O小学校では、すべてのクラスに一回は顔を出しているので、共通体験も多く、名前と顔が一致する生徒の数も増えました。
6月5日、算数の補助ということで訪れた3年生のクラスは、その朝、モンシロチョウが羽化したというので、急遽理科の授業に変更。ガラスケースに入っている蝶になったばかりのモンシロチョウの観察です。
クラスの15名は、まずは、羽化した蝶の姿を観察ノートに写生。
「先生、モンシロチョウはモンキチョウになりますか?」 「さあ、分かりませんね」というような会話をながら...
授業が終われば、卵から幼虫、さなぎと、1か月以上クラスで育てた蝶ともお別れしなければならないことなり、卵を家から持ってきた女の子がお別れの言葉を朗読することになったものの、涙にむせて、言葉になりません。私も、思わず、もらい泣きをしそうになりました。
6月10日、1年生の算数の補助。黒板には、
10は、1と?でできます
10は、2と?でできます
...
10は、9と?でできます
と書いてあり、足し算から引き算への移行のような授業の内容です。
やがて、生徒が、教科書の問題を解く時間になりました。
四角いボックスが上下2段になっており、下の段は、さらに左右2つのボックスに分けられ、
上の段には下の2つのボックスの数字の合計が書いてあります。
下の2つのボックスは、左右いずれか1つのみに数字が入っています。
空いているボックスの中に、数字を書き入れる問題です。
これが意外と難しいようで、26人のクラスの3分の1ぐらいの生徒が、四苦八苦の末、手を挙げて助けを求めます。
両手を開いて、まず、上段の合計の数字を指で作り、次に、下段の数字の数だけ、問題に合わせて左右いずれかの方向から指を折って、残りの数を数える...
ひとつの指を折ると他の指も一緒になって折れたりして、これがまた、簡単でない子がいるのです。
子供の手を取って、指折りの手助け...生徒も喜び、私も喜び、いつまでも続いてほしいひと時でした。
2009/07/13
「嫌い」 の中には、自分がいる
"「嫌い」 の中には、自分がいる "
本日のNHKの「ようこそ先輩」という番組(下記リンク参照)で、森達也氏---今日初めてその名を知りましたが---が、伏木中学の3年生に教えようとしたことです。
視点が変われば世界が変わる
森氏は、オウム真理教の中に入って取材を行い、それを独自の視点でまとめた映画「A」を自主制作した人として紹介され、小学校4年から中学1年まで、伏木にいたそうです。
あなたの嫌いなものはなんですか、と問われた生徒は、学校、勉強、数学、先生、自分の髪の毛、...嫌いなものはない....などと様々な反応を示します。
ものごとには多面性があり、自分の見ているものは全体の一部かもしれないから、もっとよく見るために、次のようなことを行ってください。
- 嫌いなものから目をそむけるのではなく、よく見てみる
- 嫌いな理由を明確にする
- 嫌いな対象の側に身をおいてみる
- 人の意見を聞いてみる
と言われた生徒たちは早速嫌いなものに立ち向かいます。英語の先生が嫌いと答えた生徒は、開き直って嫌いな英語の女先生のもとへ...
そして、率直に「僕は先生が嫌いなんだけど...」といって対話を開始、やがて、先生はt宿題を出すだけの楽な仕事をしているのではないということや、授業中にチョークが飛ぶのは、生徒とその場で勝負するという先生の真剣な気持ちの表れ(と先生が考えている)ということや、先生が自分のことを沢山知っていることなどを発見します。
「自分の髪の毛が嫌い。洗ったり手入れが面倒だから坊主頭にしたい、」といっていた男の子、「じゃ坊主頭にすればいいじゃない」といわれても、「う~ん、できない。お母さんに相談しないと....」と。
テレビは、その子とお母さんの対話の様子を放映。「放送のための会話だったから今日はお母さんは、いつもよりやさしく聞いてはくれたが、普段はお母さんが強いので反論できなくなってしまう。」という生徒。自分のヘヤースタイルが嫌いなのは、それが母親の強制というもののシンボルであったからのようなのです。
嫌いなものに取り組み、嫌いな理由を考え、いいところがないかを考えるというプロセスをを経て、答えがひとつしかないので数学が嫌いで美術が好きといっていた女子生徒は、美術の中にも数学の要素が入っていることが分かり、見方が変わった、と。
森先生は、さらに次のような宿題を出し、提出されたものを評価すると言います。
- 嫌いなものに向かい合い、なぜそれが嫌いなのかを分析する
- それが嫌いな理由を突き止める
- 上記を行った後で、自分の気持ちがどう変化したかを書く
生徒が改めて自分の嫌いなものに取り組み、全員がレポートを提出しました。
森先生いわく:
嫌いなものの中に、自分がいる。
嫌いなものに立ち向かって、上記のステップ1.2.を行い、確かに視点は変わったであろうが、ステップ3で、これまで大嫌いだったものが好きになるようなことは、考えられない。
だから評価はしない。ステップ1.2.を繰り返し行うことが重要なので、これを繰り返してください。
さてと、私には、今、その中に自分がいるような嫌いなもの、はありません。
そうでない嫌いなものは、思い出したくもないので、やっぱりないようです。
2009/07/09
2009/07/03
川淵三郎さん
掲載の許可をまだ得ていないのですが...
日本サッカーは野球を凌駕するグローバルかつローカルなメジャースポーツに大発展をとげました。 私がF社に入社した1971頃、O1氏のドイツサッカー留学の社内報報告などを読み、かの国では地域スポーツとして住民サポートの下に存在していると知った記憶があります。
当時、F社サーッカー部員と話するとサッカーはマイナーなスポーツとしてひっそり打ち込んでいるというつもり人がいましたっけ。その後、企業として単独で丸抱えできないプロリーグ環境に移行しJRとの共同サポートのブランドチームとなってゆきます。地域は市原を冠していますが事業リストラの進んでいる埋め立て工業地区とその隣接居住地区、ゴルフ場数を誇る市原市民にどれほど愛され続け得るか?JEF市原会報が配布されていますが選手の名前をちらほら確認するほどの関心でしょうか。
私は超有名人である川渕さん本人とは直接の面識はなく同期であるO2氏の退任パーティスピーチで、ユーモアを交えてJEFの財政支援の歴史に触れられたのを記憶しています。 JEFの海外出張など運営コストも大変だったのではと思った次第。
ご本人の娘さんは当社に勤務されていてもう一人のやはりプロポーションの良い美人と二人で丸の内仲通りを歩行するとすれ違った人はたいがい振り返ったもののようでした。 私はこの二人とは仕事でなじみがありましたので (中略)
サッカーのメジャースポーツ化に川渕氏や長沼健氏を含む何人かのF社関係者が貢献した歴史はたいへんなものと思います。ただ歴史あるものには腐朽部分もででくるわけで、マスコミの餌食とならないよう注意してほしいものです。
今朝、たまたまNHKの朝の番組 で川淵さんの特集番組を見、この人が好きになりました。
「この人にトキメキっ! 川淵三郎さん」 8:35-9:2
”じっち"に宛てた孫からの手紙をアナウンサーが読んだとき、大粒の涙を流しているその姿に、思わずもらい泣きしてしまいました。手紙の朗読が始まるや否やウルウルしていた目から、差別のない社会を作りたい、というお孫さんの理想とすることの紹介が読まれたときだったと思いますが、大粒の涙が滲み出し、頬をっつたう様子が大写しになり、涙をぬぐいながら笑顔で孫をほめているところに、私も感激してしまいました。肝炎で体調を崩した奥さんを助けるために始めたという料理の紹介として、今朝5時に起きて作ったジャガイモとピーマンの炒めを、アナウンサーが味わっていて、その料理の紹介も面白いと思いました。
奥さんは、ジャガイモ炒めは、ジャガイモを少し固めにした方が良いといって教えてくれたのだが、自分が作るようになってからは、自分の好みに合わせてやわらかめに作ってきた。
今朝、今日の番組で実際に氏が作るものを試食するということが分かったときに、奥さんは、「固めの方が、舌触りが良いのでは...」とこの2年間言わなかったことを言ってくれたそうです。
でも、氏は、自分好みのやわらかめのものを作ってきた...
Jリーグ立ち上げの時、企業名を伏せ、地元の人たちのためのチーム作りを掲げた基本理念に対し、当時の読売新聞渡邊会長から、ワンマン、ヒットラー、ムッソリーニ、スターりンといって非難を浴びせられたことを、逆境をチャンスに変えてやってきた...やがて自分の古希ののとき渡邊さんからお祝いの言葉をいただいてとてもうれしかった...という番組始めのエピソードの紹介をおもしろく思わなければ、途中でスイッチを切ったかもしれません。
今日は金曜日、これまでは、水曜日が休日だったのを、7月から、金曜日を休みにしたため、たまたま見た番組の登場人物のことが、なぜ、今日、話題になったのでしょうか?
2009/05/11
小学校外国語活動協力員スタート
まず校長先生と仕事の内容を打ち合わせてくださいというので、U小学校を訪れ、さて仕事の内容をと思ったら、いきなり「外回りの水撒きをしていただけますか?」といわれました。女の校長先生です。怖かったので、「はい」と答えました。
田舎のことだから、これから英語教育の準備を始めるのだろうと高をくくっていたらとんでもない。もう4年も前から、ALT(Assistant Language Teacher)を配置し、小学校1年生から6年まで、全校生徒を対象に英語の授業をやっているので---1、2年は月1回、3年以上は週1回---驚きです。
今日は、3年生の授業を見学しましたが、ALTが英語で授業を行い、英語指導補助員がそばにいて日本語で通訳・解説などの補助をし、おまけに担任の先生もいる3人体制で、完璧な授業。
ということは、私が行ってありがたがられることは、やはり、水撒きあたりのようなのです。
注:黒部市が「英語特区」と指定されて行ってきたことは下記のURL(古いですが)にあるとおりです。
http://hokuriku.yomiuri.co.jp/hoksub2/kyouiku/ho_s2_05081401.htm
2009/04/30
2009/04/26
Susan Boyle
Susan Boyleさん、47歳。
http://www.youtube.com/watch?v=1t8m7CkpIK0&hl=ja
すばらしい声だ。7分33秒が短かすぎる。もっとききたい。たくさんある投稿の中でのあるものは、本日4/25/2009の段階で、1500万回の再生である。
以下は、同じシーンの英語のsubtitleつきの投稿
http://www.youtube.com/watch?v=zzfCVBSsvqA
さらに、別の投稿、英語のsubtitleつき
http://www.youtube.com/watch?v=dtyXYjXNI2w&NR=1
別の投稿 (no subtile)
NBC関連のSenior Vice Presidentが5回見てそのたびに涙がでたという。
http://www.youtube.com/watch?v=CpLw-YT7pYg&NR=1
2009/04/22
終わりよければ...
ハローワークで見つけた富山県教育委員会が募集している緊急雇用対策に先週応募。9/30まで週4日、小学校で英語tの指導の補助、入善、朝日、黒部、魚津(注)の小学校2校を見つけて、独自に英語のお手伝いをする仕事。
注:いずれも、実家から車で30分以内のところ
プラス面、マイナス面、両方、検討課題がたくさんあります
今回の応募は、エレベーターのある建物を嫌う母が、”終わりよければすべてよし"などと意味深なことをいうので、週末ぐらいケアハウスから連れ出すことが可能ならばと思ってトライしてみました。9月以降も半年延長可能というのですが、いざやるとなると、決心が必要です。
英語を第一の要件として掲げる求人では、TOEIC 825点、英検準1級はこの年だと通用しなく、もう一ランク上を要求されますが、富山県の小学校の英語教育ではたりたようです。
面接の帰り、富山駅から電鉄黒部(昔の桜井駅)まで、富山地方鉄道の、40年間走り続けているような白い2両編成の特急宇奈月行きに乗りました。どの駅も、駅のホームは赤茶けた鉄さび色に彩られ、駅員も1人しかいないか無人駅の様相。平日の13:10-14:00の時間帯は、人もまばら。曇り空で、山の稜線ははっきりと見えませんでしたが、剣岳だけはどこから見てもとんがった頂と雪の沢筋をあらわにむき出していました。
富山といわれる所以の山々を、これほどじっくり、しつこく、見つめたのは初めてのような気がします。富山市内のビルの上から見た山が勇壮に見えたので、もっと近くに行けば、かつて見えなかったものが迫ってきて、何か起こるかも知れない、と半分ワクワクして出発したのですが、結局は、何も起こりませんでした。
母の近くに住むということに伴うマイナスの面を補ってくれるような新しい視点が、その電車に揺られる中から生まれて来やしないかと、期待したわけです。
面接で、こんな話しをしました。
小学校のころ、集英社の国語辞典の用語解説の下に英語の単語が載っていて、それを組み合わせて文を作り、自分は英語ができると思っていたのだが、中学に入り、英語の文と日本語の文の単語の順序が同じでないことが分かり、ショックを受けた、カルチャー・ショックであった...と。
一夜明けて
朝、黒部笑福学園から連れ出した母に、かつて母が教えてくれた、万葉集の歌を、思い出そうと思ったけど忘れてしまったという"古草"の歌を、逆解説。
上の一文を書いた後、母のいるはずの居間に戻ったがいない。どこに行ったのだろう。庭の花でも見に行ったのかしら...
ケアハウスでは、一日中部屋の中に閉じこもりがちで、老人性認知症が確実に進み、歩行力も施設に入る前の1年前と比べて各段に落ちたが、自分のうちに戻ると嬉々としている。
しばらくしてもう一度居間に戻ると、今書いたばかりの短冊を手にしている。
おもしろき野をば な焼きそ 古草に新草まじりて 生いは生ふるがに
万葉集 巻14 雑歌 3452
「終わりよければすべて良し、自分のうちが、一番いい」と母は言う。 直接ではなく、電話の向こうで。2-3週間前のこと。
2009/04/16
読む能力、あるいは、態度、あるいは、読みを進めるreadiness、について
演説の動画は、"核を使った国として道義的責任がある"というところが、よく確認できず、軽く流された言葉のような気がしましたが、文字で確かめた後もう一度聴いてみると、その意味も実感として把握でき、さらに3回目になると、うーんとうなるほど、感心してしまいました。
As a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it.
翻訳された日本語を読まないで、英文だけで読んで分かったような気になっていても、日本語で確認すると、こんなにも理解が違うとは。
さらに分かったことは、この演説を理解するうえでの、関心や前提知識のGAPでありました。
この演説をプラハで行うことの意味を理解できなかったのは、ベトナム戦争でのチェコ製の武器が使われていたのでアメリカが干渉しなかった、ということを知らなかっただけではなく、かつて、プラハの春から夏にかけて起こった事柄を自分の言葉で反芻して見たことが一度もないからということにほかならず、それは自分の歴史あるいは政治に対する態度を物語っています。
この演説に対し、次のように問いかけることも、その意味を自分の言葉で問うているという意味で、私にはできない問いであるとまた感心。
オバマの演説が本物かどうかは、彼が広島・長崎・第5福竜丸にくるかどうかですね。そして何を言うか。米国社会はそれを是とするか。原爆に限らず、無差別空爆をどう総括するのか。 ニセ宗教の定義が、又ひとつ増えそうです。絶対平和(武力の均衡や軍事的圧力によらない)を善しとしない宗教はニセ者である。
そして、次の答えに、また、ひとうなり(感心)。
オバマのシナリオでは外交・軍事に占める核兵器のウェートを引き下げる、(削 減、実験中止)ロシアその他核保有国と協調を前提としていますから通常兵器は 除外、一方的措置はなし。 他国の脅威が存在する限りは同盟国と自国の安全保 障は譲れないとも言明しています。 世界外交劇場での夏(春?)の夜の夢かしらん・・・。米国政治の振り子現象の揺 らぎに過ぎないのか・・・。
前に遅読について触れましたが、私のこの演説内容に関する読み方は、自分へのインプットの仕方は、あるいは、自分の言葉で語れるレベルは、要約にも満たず、ようやくタイトルをいえるぐらいのレベルで、遅読ではあるのに速読の理解度でした。
そして、"授業(ものごと)を理解するためには、質問項目を沢山用意できているほど、理解の幅と深さが異なってくる"、とかつて息子に言ったことはあるものの、そのことをやっていない自分を棚に上げていたことを、再確認したのであります。
ま、readinessが異なる分野に対しては、拝聴するだけでも、楽しいのですが...
動的平衡
- 生命現象は、動的な分子の平衡現象ルドルフ・シェーンハイマー
- タンパク質の新陳代謝速度が、体内時計の秒針なのである。年をとるとタンパク質の代謝回転が遅くなる
- 脳は、ありのままではなく、デフォルメされたものを見る。
世界のありようを、直感的にしか見ていない。=>直感に頼るな - 自然界のインプットとアウトプットの関係は、シグモイド・カーブという、Sを左右に伸ばしたような、非線形をとる。
- 貯蓄のメカニズム
- インシュリン:血糖値が上昇すると合い量に放出される=>
- 脂肪細胞の表面のインシュリン・レセプターと結合し、脂肪細胞に情報を伝える=>
- 脂肪細胞内部の格納庫からブドウ糖輸送対が運び出され、細胞膜上に突き刺さる
- 血流に乗ってやってくる余分なブドウ糖が取り込まれ、脂肪となって蓄えられる
- 消化がゆっくりと進むスロード=グリセミック・インデックス(GI値)=どれくらい血糖値をあげるかを数値化したものhttp://www.drrk.net/gi.html
- 貯蓄時には、一時的に血糖値が低下、身体は同化モード=副交感神経優位=眠い
- そんなときでも血糖値を高く保ち、臨戦モードを維持する=糖尿病
- ES細胞=エンブリオニック・ステム・セル=胚性幹細胞
- 分子の相補性 精子と卵子のミクロなタンパク分子が合致する=種の同一性の保持
- 細胞:細菌:ウィルス:プリオン・タンパク質=こぶし:米粒:点:1/1000
- ミトコンドリアは細胞内に取り込まれた別の生命体
- 酸化能力=>エネルギーを供給
- 母系
- 象、鯨の低周波のコミュニケーション
- 豚の知能
2009/04/05
2009/04/02
WBC Final
By Tim Dahlberg, AP Sports Columnist
TOKYO — Dodger Stadium was rocking, and this time no one was leaving during the seventh inning.
No one dared, because on the field below Japan and South Korea were playing a game so intense it seemed like the fate of their respective nations depended on the outcome.
This was the way Bud Selig always envisioned the World Baseball Classic would be. Nation against nation, extra innings with everything on the line.
No one worrying about getting hurt. Everyone worrying about letting their country down.
A perfect ending to a very imperfect tournament.
Ichiro Suzuki was already a national hero in Japan even before he lined a two-out single into center field in the 10th inning Monday night for what would prove to be the winning runs against Korea. Now they'll be building monuments to him in his home country.
And all because Selig had a vision.
Judge the WBC by its final game and the only complaint is that we have to wait until 2013 to see it again. There hasn't been a game played in March that ever meant so much, or was so much fun to watch.
Give Selig credit for that. The whole thing was his baby and the WBC, in its second incarnation, was marginally better than it was the first time around.
If we didn't know it before, we know now that, much to Tommy Lasorda's dismay, baseball is no longer just America's game. There are other countries who play it just as well, or even better, and that's just something we'll now have to start getting used to.
There are also other countries who seem to take it more seriously than we do, something that became even more painfully evident the longer the tournament went on. While the U.S. treated the tournament like extended spring training, it seemed to mean a lot more to the other semifinalists than it did the home team.
Japanese Manager Tatsunori Hara was already way past psyched before the first pitch was thrown in the last game.
"It could be the game of the century," he said.
It wasn't quite that, but it was just the game the WBC desperately needed to carry some momentum into the next tournament, which is four long years away. And the 54,846 who packed Dodger Stadium for the final certainly appreciated it, chanting, banging noisemakers and making more noise than Dodger fans combine for during an entire season.
Koreans have been playing professional baseball since only 1982, but they were coming off an Olympic gold medal win in Beijing and had the confidence to play a team they knew well. Unfortunately, their comeback to tie the game in the ninth inning was marred by a bad decision to pitch to Suzuki with first base open in the 10th inning.
Still, it was good stuff for baseball fans, especially purists who appreciate the finer things in the game. Instead of muscle-bound home run hitters, we were treated to line drive hitters who knew how to lay down bunts. Magicians with gloves roamed the field, making even the toughest plays seem routine.
The only thing missing was the U.S. team, but that was hardly a surprise. It was a hastily thrown together group, not nearly as star-studded as it should have been, and not anywhere near as prepared as other teams were to play meaningful games in March.
And while Selig deserves credit for the WBC, he deserves the blame for that. The baseball commissioner didn't use the powers of his office to order teams to surrender their best players for the classic, didn't make sure those who did come were in shape to play, and allowed the various clubs to decide how much they should play.
Selig just moved spring training forward a few days, and figured that would be enough to get the U.S. millionaires excited again.
That has to change in 2013 if Selig expects the U.S. to win. It has to change if he expects U.S. fans to care, and it has to change if the WBC is ever going to be what he believes it will eventually become.
Selig admitted as much Monday while being interviewed in the television booth during the game.
"We have to figure out ways to pick up the intensity of the U.S. team, no question about it," Selig said. "We need everybody's best players and we shouldn't accept less."
One way to start would be to move the tournament to summer. Have it replace the All-Star game, and put the major league season on hiatus for a few weeks until its over.
The players would all be in shape, and they would all be motivated. No one would have to worry about pitch counts or strained obliques.
Treat it like it really means something
Wa
Posted Mar 24, 2009 4:21AM By Lisa Olson (RSS feed)
Filed Under: MLB, FanHouse Exclusive
LOS ANGELES -- It's all about the Wa, the forfeiture of self for the unity and harmony of the greater good, or team. You could sense Wa all around Monday night, as Japan and South Korea engaged in one of the finest back-to-basics baseball games you might ever see.Wa was there in the sacrifice flies bringing home runners, in beautifully positioned bunts, in terrific pitching duels that caused 54,846 fans at Dodger Stadium to stand and sing for 10 fantastic innings. Fittingly, the World Baseball Classic final lasted a perfect four hours, ending with Japan beating Korea, 5-3, for the championship.Make that the world championship, for only the most xenophobic would consider Team Japan not worthy. Team Samurai defended its WBC title from 2006, thanks to Ichiro Suzuki's finely placed single that sliced Korea's gut and scored two runs in the top of the 10th. But really, as often happens in Japanese baseball, the beauty was carved out in Ichiro's eight-pitch at-bat against reliever Chang Yong Lim, with two outs, with runners on second and third, with millions upon millions of fans in the Far East holding their breath."Today we were able to greet the day, and the fact that we were able to remain one of the best two was within myself, wonderful," said Japan's manager Tatsunori Hara, long after his team offered gracious bows to their longtime rivals and paraded around Dodger Stadium with the Rising Sun flag and shared the trophy with fans who didn't want to leave.Here, baseball purists, was the game at its prime, extra innings packed with smallball, dazzling defense, daring baserunning. It was a test of which country best mastered the fundamentals, a passion play leading up to the ninth inning when Yu Darvish, the closer who one night earlier finished off Team USA, erratically sandwiched two walks inside a pair of nasty strikeouts. But like nearly every young child who learned to play baseball in Asia, Korea's Bum Ho Lee has the patience of a nun, and he waited for the right pitch to slap through the hole at short, tying the game, 3-3. The Dodger Stadium scoreboard came alive with pictures of crowds packed tight into Seoul's Jamsil Stadium, partying hard 6,000 miles away.And then Darvish returned for the 10th, Hara taking a risk that highlighted the terrible importance of this game, and Darvish made sure Ichiro's efforts weren't wasted. After a leadoff walk, Darvish cooly retired the side. Pandemonium in Dodger Stadium, delirium in the streets of Tokyo.That, baseball lovers, is why the Classic matters."Well, in the bullpen, the pitcher who was the best is the one I picked," said Hara, making his decision sound so easy, so enlightened. And of Ichiro's epic, game-winning at-bat, Hara admitted, "it's an image that will forever be imprinted in my mind."Ichiro insisted he was in a far more rocky zone while wiggling at the plate. "I really wish I could be in the state of Zen but ... I kept thinking of all these things that I shouldn't think about," he said. "But I was able to hit, so I felt like maybe I surpassed something myself."One night earlier, Japan blew away Team USA, 9-4, in the semifinals, a loss that flushed out another round of snide remarks by Americans who can't see beyond their own belts, who are stunned, absolutely stunned, that other nations play a better, smarter brand of baseball than the country which invented it. How could this happen?Really, the answer is quite obvious to anyone who's been paying attention to the sport's expansion across the past decade. Teams from Asia and elsewhere have this odd habit of racing down the line as soon as the ball is put into play, of circling the bases following home runs like they'll never again hit a ball so far, of treating strike outs as a curse that shames the entire group."Little things," Jeter, captain of Team USA, was saying late Sunday night, in the gloom of Dodger Stadium. "Somewhere along the way Americans lost the idea of practicing and teaching fundamentals. We need to figure out how to get back to that."The contrast first struck Jeter in 2004, when the New York Yankees traveled to Japan for Opening Day, with a series against Tampa Bay. I covered the Yankees on that journey (and was with the New York Mets when they ushered in the 2000 season in Tokyo). Each trip included exhibition games against Japanese teams, providing ample opportunities to observe the militaristic manner in which the Japanese prepared.The sport was first introduced to the Japanese masses in 1878, by a Boston engineer who had his players run the bases in geta, or wooden sandals. It was a painful exercise, designed to build or break the spirit (typical masochistic Red Sox fan, even then). Modern pre-game warmups are still a blend of martial arts and worker bee ethos, the players fielding more ground balls and pop ups than some Little League teams do in a year.The fierce dedication trickles down to school children, many who routinely train for six hours a day. Little Leaguers are taught defensive skills and the art of playing catch long before they master hitting; Americans do it in reverse. And if those children lose a big game, they scoop up the infield dirt, pack it in plastic bags and display it prominently at home, a reminder of lessons to be learned.The South Koreans are similarly nurtured, before facing one more obstacle: a mandatory stint in the military. That's one of the major hurdles MLB teams have to navigate before more Koreans land on this side of the pond.Jung-Keun Bong, Korea's starting pitcher Monday, cut a rare path across baseball's landscape, spending time with the Atlanta Braves and Cincinnati Reds before returning to Korea to finish his career. He pitched splendidly in the title game, but Japanese starter Hisaski Iwakuma was even better, and after Michihiro Ogasawara's third-inning RBI single gave Japan a 1-0 lead, Bong was removed in the fifth, with no outs and runners on the corners. A few hours earlier, manager Hara had predicted the championship would "feel like it's the game of the century." That's how fierce the Korea-Japan rivalry is, far more intense than Yankees-Red Sox, gloriously existing without the ESPN hoopla.How many tens of millions of office workers choked on their mid-morning coffee Tuesday when Hyun Wook Jong came in for Bong and promptly blew away the side, the inning ending with Ogasawara striking out and Norichika Aoki, so firefly quick, caught stealing?Shin-Soo Choo, one of four Koreans in the major leagues, tied the game, 1-1, in the bottom of the fifth with a leadoff home run, spinning Dodger Stadium into a sweet cacophony of bands and whistles and dancing children and national chants and controlled madness.That's the other thing about international baseball. Fans enjoy games without worrying about foul-mouthed thugs destroying the experience. If Koreans and Japanese can share a stadium peacefully, without fights in the stands and curse words polluting the air, perhaps there is hope for us still.No doubt, the WBC has inspired its share of positive moments: competitive, entertaining games, good sportsmanship, lessons for the Americans. There are plans to expand the tournament in 2013 beyond the scope of this year's carnival, which featured 16 teams playing 38 games across seven cities, from Tokyo to L.A. Paul Archey, senior VP of MLB International and architect of the WBC, stood near the Dodger dugout before Monday's game and said the idea is to keep dreaming big, beyond borders."We like March as a time to do this tournament," Archey said, reminding reporters that MLB owners approved the timing, the travel and other inconveniences that have prompted American players and fans to either whine or yawn. Archey wouldn't rule out the possibility of the semifinals and final being played in Tokyo, where TV ratings and attendance are Super Bowl-sized. (Total attendance for this year's WBC was 801,408, and if organizers counted fans who attended Team Japan's practices, the number would have cleared 1 million.)Yes, it appears Team USA will again be handicapped next time around, by the format and, if lessons aren't learned, by their own style of play. Appearances by A.J. Burnett, CC Sabathia and Joba Chamberlain -- just three of the American pitchers who couldn't be bothered, though there were others -- might have saved Team USA from being knocked around by Japan's line drives in Sunday's semifinal.It may be too late for the US to ever retrieve a version of Wa. Generations have passed, glorifying power hitters over basic fundamentals. "Little things," as Jeter said, though he knows the cultural divide cuts much deeper.Ichiro and fellow major leaguer Daisuke Matsuzaka joined Team Japan for training in early February, enduring two-a-days when they could have been sipping Mai Tais on the beach. It was all for the Wa, group harmony over self. Ichiro's bat scored the winning run, Dice-K's arm was a perfect 3-0 and earned him tournament MVP honors.So offer a tip of the Kabuto, helmet of the samurai, toward Team Japan, world champions who can teach us a thing or three.
http://lisa-olson.fanhouse.com/2009/03/24/wa-reigns-supreme-at-wbc/
all about周囲をぐるりと、~に関するすべて、・What's that all about? : あれは[それは]一体何のこと?/それって一体どんな意味があるの?、~がすべてで、すべて~次第で、要は~で
forfeiture 没収{ぼっしゅう}、喪失{そうしつ}、没収(物){ぼっしゅう(ぶつ)} 科料{かりょう}、罰金{ばっきん}
back-to-basics 基本[根本・初心]に戻る[帰る]
duel 〔二者間の〕争い、決闘{けっとう}、果たし合い、闘争{とうそう}、抗争{こうそう}、対決{たいけつ}、勝負{しょうぶ}、争う、戦う、決闘{けっとう}する
xenophobic 外国(人)嫌{がいこく(じん)ぎら}いの
purist 純粋主義者{じゅんすい しゅぎしゃ}
prime全盛(期){ぜんせい(き)}、盛り、主要{しゅよう}な、第一{だいいち}の、一流{いちりゅう}の、最上等{さい じょうとう}の、最上{さいじょう}の、首位{しゅい}の、最高{さいこう}の
dazzling まぶしい、輝かしい、まばゆい(ほど[ばかり]の)、目もくらむばかりの、(魅惑的{みわく てき}で)しびれさせる、幻惑的な、とても素晴らしい、見事な、めくるめく
daring:大胆な
erratically 不規則{ふきそく}に、一定{いってい}しない動きで、常軌を逸して
nasty 不快{ふかい}な、汚らわしい、意地{いじ}の悪い、扱いにくい〈俗〉最高{さいこう}な、素晴{すば}らしい、格好いい
single through the hole
《野球》三遊間[一二塁間{いち に るいかん}]を抜けるヒット
lead-off 《野球》先頭打者
retire〔打者{だしゃ}を〕アウトにする
pandemonium 悪魔{あくま}の巣窟{そうくつ}、大混乱(の場所{ばしょ})、地獄{じごく}・On deck there was pandemonium. : 甲板は地獄絵の様相だった。
delirium 狂乱状態{きょうらん じょうたい}、幻覚症状{げんかく しょうじょう}、精神錯乱{せいしんさくらん}、興奮
enlighten }する、教え導く、教示{きょうじ}する、啓もうする ,に知らせる、教える
epic 叙事詩{じょじし}、叙事詩的{じょじし てき}な映画{えいが}、大作{たいさく},壮大{そうだい}な、英雄的{えいゆうてき}な、大規模{だいきぼ}な
〈米俗〉素晴{すば}らしい、最高{さいこう}の
at-bat:打席
rocky 岩石{がんせき}の多い、岩のような ,困難{こんなん}な、障害{しょうがい}のある、問題{もんだい}を抱えた、フラフラの、ッキーの、不安定{ふあんてい}な、グラグラする
wiggle [くねくね]動かす
flush out
〔水などで〕流し出す、流れ出る、追い出す、〔容器を〕濯ぐ、〔罪人を〕暴き出す、〔隠れている鳥を〕飛び立たせる、一掃{いっそう}する
snide 悪意に満ちた、ずるい、卑劣な、人を傷つけるような・He is always making snide anti-Japanese remarks. : 彼はいつも人を傷つけるような反日的批判をする ,偽の、まがい物の
stun ~を当惑{とうわく}させる、うろたえさせる、あぜんとさせる、びっくりさせる、~の肝をつぶす、度肝{どぎも}を抜かせる、ぼうぜんとさせる、衝撃{しょうげき}を与える、動揺{どうよう}させる ,~を打ち負かす、圧倒,あっとう}する 気絶{きぜつ}[失神{しっしん}]させる
odd普通{ふつう}でない、奇妙{きみょう}な、変な、おかしな、異様{いよう}
race:全速力で走る
down the line、直ちに、始めから終わりまで/ ライン沿いに
curse のろい(の言葉{ことば})、呪文{じゅもん}、怨念{おんねん}、忌むべきもの、天罰{てんばつ}、悪態{あくたい}、毒舌{どくぜつ}、悪口{わるぐち}、元凶{げんきょう}
gloom 闇、暗闇{くらやみ}、薄暗{うすぐら}さ、(薄)暗がり、暗い所、暗影{あんえい}、陰影{いんえい} ,陰気{いんき}、憂うつ、沈鬱{ちんうつ}、意気{いき}消沈{しょうちん}[阻喪{そそう}]、沈んだ面持ち[顔つき・表情{ひょうじょう}]
ethos 精神{せいしん}、気風{きふう}、風潮{ふうちょう}、道徳的規範{どうとくてき きはん}、エトス、思潮{しちょう}、方針{ほうしん}、理念{りねん}、指導原理{しどう げんり}
pop up:《野球》凡フライ、小飛球
trickle したたる、したたり落ちる、垂れる、ちょろちょろ流れる、ポタポタ落ちる、漏れる
nurture 育てる、養育{よういく}する、養成{ようせい}する、仕込む{しこむ}、助長{じょちょう}する、助成{じょせい}する、はぐくむ
stint 活動などに従事していた〕期間{きかん} 、任務{にんむ}、割り当てられた仕事(量){しごと(りょう)}
RBI =run batted in《野球》打点
ESPN =Entertainment and Sports Programming Network娯楽スポーツテレビ放送ネットワーク
hoopla 〈米〉大騒ぎ、騒動、混乱 〈米〉誇大広告、いんちき、ごまかし
blow away 〔ほこり・嫌な気分{きぶん}などを〕吹き飛ばす、ふっ飛ばす、吹き払う、一掃{いっそう}する 、〈米俗〉撃ち殺す、射殺{しゃさつ}する、銃殺{じゅうさつ}する、ぶっ殺す〈米俗〉〔敵などを〕完全{かんぜん}に負かす、ぶちのめす 、〈米俗〉感動{かんどう}させる、つくづく感心{かんしん}させる、~に非常{ひじょう}に良い印象{いんしょう}を与える 、〔スポーツなどの記録{きろく}を〕破る、塗り替える
firefly?????
cf 《虫》ホタル、蛍{ほたる}◆【同】lighting bug・As a firefly said when he sat in the water, I'm delighted to be here again. : 《二度目の訪問時のあいさつ》ホタルが水につかったときに言ったようにここに再び来られてうれしいです。◆ホタルは水に浸かると尾の光が消えるので、delighted(うれしい)とdelighted(光を消されて)の意味をかけあわせている。このセリフをネィティブに言うと必ず笑ってくれる。
cacophony 耳障り{みみざわり}な[不快{ふかい}な]音
foul mouth 汚い口の利き方、口汚い人
thug 〔残忍{ざんにん}な〕殺し屋、悪党{あくとう}、凶悪犯{きょうあく はん}
whine 哀れっぽい(泣き)声、すすり泣く、哀れっぽく泣く、哀れな声を出す、むずかって泣く 、めそめそと愚痴{ぐち}を言う[こぼす]、泣き言を言う、弱音を吐く、訴えるように泣く、
botherい悩む、気にする、苦にする、心配{しんぱい}する、てこずる、たじたじする、悩ます、悩ませる、困らせる、困惑{こんわく}させる、狼狽{ろうばい}させる、~に嫌な思いをさせる、(人)にとって〔主語〕が気になる〔悪い意味{いみ}で〕、(人)を落ち着かない気分{きぶん}にする
two-a-day
1日2回上演{かい じょうえん}のショー
2009/03/21
WBCの秘策
城島が、ピッチャーズ・マウンドに行って、岩隈になにやらひそひそ話している。
「岩隈はいいピッチングをしているのにいったいなんでしょうね?」
城島がポジションに戻ると、岩隈は城島のサインに2~3回---「いや5~6回だ」と妻は言う---首を横に振った。
”どうした? ! ? ...”
TVで観戦している日本のフアンだけでなく、キューバのバッターもそう思った。
岩隈投げた。バッター振った。ショート・ゴロ。
ショート軽く裁いて、一塁送球、アウト!!
「佐々木さん、あれは何を言ったんですかね?」
「『いいボールだよ』とでもいったんでしょ。」
「そして、『首を振れ』とででもいったんでしょ。」
「はーアッ。そんな心理作戦もあるんですね。」
曖昧な記憶は、上記のように書かせたが、実際は三振だったようです。
http://www.google.com/url?q=http%3A%2F%2Fwww.daily.co.jp%2Fbaseball%2Fwbc2009%2F2009%2F03%2F20%2F0001765544.shtml&sa=D&sntz=1&usg=AFrqEzfR7EDjaMXUds5uK2Bt4B0yBbPQ4w
Japan tops Korean in 10 innings to win WBC Wa WBC Final
リンク先の文のコピー:
城島、投手に首振らせ球種惑わせた 「WBC第2R敗者復活2回戦、キューバ5-0日本」(18日、サンディエゴ) 赤いミットを力いっぱいたたいてみせた。2点リードの四回二死一、三塁。二回に二塁打を放たれたアンダーソンを空振り三振に仕留め、この日最大のピンチを切り抜けた城島は、意気揚々とベンチへ引き揚げた。 カウント2-2と追い込んでから3球連続で要求したフォーク。試合後は原監督も投げた岩隈も言葉を濁した“秘策”を、城島が気持ちよさそうに解説した。 「あそこは、わざと(岩隈に)首を3回振らせて、1回マウンドを外させて、もう2回(首を)振らせて同じ球を投げさせた」。2球ファウルで粘られた後の3球目で仕掛けた心理戦に完勝し「会心っちゃあ会心でしたね」と、満面の笑みを浮かべた。 この日の岩隈は18個のアウトのうち内野ゴロが15個。「左打者にはスライダーでファウル、追い込んだらフォークがある。右にはフォークを見せてからシュート。完ぺきでしたね」と快勝劇を振り返っていた。
2009/03/13
遅読法
遅読法
紹介されている2つの方法---自分で朗読したものを録音して聴く、外国語に翻訳する---は、自分の発音の矯正や、内容の理解・紹介のために利用したことはあっても、著者と対話して思考を読み解くための方法として、あるいは、著者を深く読むための読書法のひとつとして、使ってみたことはなかった。
だが、これはいけそうだ...
作成済みの、応募予定の就職先への志望動機や自己PR文があった。
そこに書いてあった文章は、断片の寄せ集めで、非論理的な、自分にも理解できない、ましてやそれを読む人にはもっとわからないことの羅列であった。
「あなたはそこにそのように書いているけれども、本当にそのように考え、それを望んでいるのですか?」 と、自分に問うまでもなかった。
今日の締め切りを明日に延ばし、自分が納得できるかたちのものにまとめ直した結果、嘘の心や飾りは消え、自分の中の真実が、より具体的に表現されるように変化した。
このことを通して、応募時の競争や選考結果を意識する前に、自分と対話し、自分が真に求めていることを意識することが大事であることが分かった。
こうして、応募文書を練り直すという本来の目的に加えて、自分の内面が自分と平衡したかたちで整理されるという、思いもよらなかったメリットが得られたのである。
新聞の記事では、遅さの技法は、第三者である著者がいて、その作品を通して、著者との対話を行うための手法として紹介されているが、この技法は、上記のように、自分との対話にも応用できる。
自分の考えを声に出し、文章にすることは、普段、誰もが行っていることである。
それが、日記やブログ、あるいは、作品・著作という場合があるかもしれないが、自分が作ったもの、過去のもの、として残っている場合、それを通して、自分との対話が可能になるのだ。既に作成されたものがある場合には、これは、過去の自分と現在の自分との対話である。
遅さの技法は、現在の自分との対話においても、利用できる。自分の心を朗読し、それを聴き、自分の心を外国語に翻訳しそれを読む。言葉にできないものが言葉になり、難しく考えていたことを簡単な単語に置き換えることによって明快になる。
ここまで書いてみて、ようやく、なんだ、これは考えることの基本であって、誰もが、いつも、行っていることではないか、ということに、遅まきながら気がついた。
2009/03/03
納棺夫日記
裏表紙に、「H5年7.17.メルシーにて求む」と記してあるので、父の死の5ヵ月後、母が買って読んだもののようだ。2箇所に傍線が引いてある。
- 末期患者には、激励は酷で、善意は悲しい。説法はいらない、言葉もいらない、きれいなあおぞらのような目をした、すきとおった風のような人がそばにいるだけでいい。(第三章 ひかりといのち P.110 )
- この原稿を書き終えたとき、正岡子規の『病床六尺』にある『悟りといふ事は如何なる場合でもも、平気で死ねることかと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合でも、平気で生きて居ることであった』という言葉が実感としてわかるようになった。 ( あとがき P.188)
映画 『おくりびと』の陰の原作であるこの本、調べてみると、作者は入善出身の青木新門さんで、詩人。早稲田大学を中退して文学を目指したが食えず、子供のミルク代のためにオークスに勤め始め、実際に納棺の仕事をやった人であった。この本の結びの日付は平成5年2月28日となっている。 父が亡くなったのも、今から16年前、平成5年2月で、もしかすると、父の湯灌をやっていただいたのはこの新門さんかも知れない。そうでないとしても (その可能性が高いが)、新門さんに指導をしてもらった弟子、あるいは、孫弟子のどなたかがやってくださったのだ。
本の内容は、フィクションではなく、本人の日記を整理したもので、葬送の儀式を経験した人しか伝えられないリアリティーがある。けがわらしいと奥さんに避けられた話や、死体から湧いた蛆虫が光る光景、死臭が抜けないので鼻毛を抜いたら臭いがしなくなった話、縊死や轢死の凄惨な現場の話は、覚えようとしなくても記憶に残る。
その日、全編を、深夜午前3時に読み終えた。
亡くなった人を清める儀式のお手伝いをすることを通じて、新門さんが悟り、伝えたかったかったことは、次のようなことになろう。
1. 死に臨む人に安らぎを与え、亡くなる方を導き、残された遺族の心を癒すのが、宗教や医者の本来の機能であるのに、
- 仏教は、宗派ごとに異なるしきたりに固執するような葬式仏教に成り下がり、
- 医者は、心の平安とは無縁の延命主義を続けている。
2. 亡くなった方の顔は、さわやかな風のようにすっきりし、穏やかな神々しさがある。
- それは、光るものをみるという臨死体験をしたからである。
3. ひかりを体験をした人たちとして、釈迦、親鸞、宮沢賢治がいる。
- 釈迦は苦行ののち生死を超えた菩薩としての『生』を生き、教えを説いた。
- 親鸞は仏陀の教えを見通して、ひかりを信ずることを説いた。
- 詩人、宮沢賢治も、病の床でそのひかりを体験した一人である。
4. 詩人は、ひかりを見た存在なのだと思うようになった。
- 詩人は、概して、生き方が下手で、中途半端に生きている。 *著者は自分がそのうち一人であることを自認している。
- ひかりを見たからといって、悟りが得られるわけではない。
- 親鸞は、そのことを知り、次のように結論し、説いた。
5. 苦行して悟りを得ようなどとはせず、だた、ひかりを信じなさい。
- 悟り帰命無量寿如来、南無不可思議光
本の後半には、新門さん一家が、満州から引き上げてきたときの、妹や弟を亡くした話も載っている。それは、上にあげた新門さんの考えが、単に納棺夫の経験をしただけでは生まれてこない、深い重い体験の中からより出されてきたことを、物語っている。
読んだときの最初の記述が的を得ていたかどうかを確かめるために、さっとポイントとなるところを読み返してみた。(3/1/2009)
かいつまんだことは、ほぼその通りだったが、分かりやすくするために、少し手直しをした。上記のように考えた根拠を、ポイントの番号と、それを示す本文からの抜粋というかかたちで、以下に示す。
1. 死生に対する本来あるべきすがたについて
- 釈迦や親鸞の言葉には、生死を超えたところから発せられているような言葉がある。善悪の場合でも、善も悪も突き放した第三の視点から善悪を見ているようなところがある。それはどんなところかということになるが、善悪や生死を超えた第三のところで生と死や善と悪が双方とも見えるようなところでなければならない。(p.55)
- 今日のようにあらゆる情報が氾濫する時代にあって、芸術家の多くが人間的尺度の、いわゆる等身大の作品に終始しているのも、死を直感することなく、むしろ死を避けるようにして、生側にのみ立つ視点で世界を見ようとしていた結果かもしれない。(P.61)
- 視点の移動をしないで、『生』にだけ立脚して、いくら『死』のことを思い巡らしても、それは生の延長思考でしかない。また人が死の世界を語るとき、それは推論か仮設でしかないであろう。
死後の世界へ旅立つことが、白い巡礼の衣装をまとい、杖をもち、六文銭をもって三途の川をわたるというような発想は、生の思考の延長線上から生まれたものにほかならない。
中略
いつの時代になっても、生に立脚し、生に視点を置いたまま適当に死を想像して、さもありなんといった思想などを構築するものが後を絶たない。特に、感性は生に執着し、知性だけでものを考える知識人に多い。(p.63) - 私が、この死に関わる葬送儀礼という仕事に携わって驚いたことには、一見深い意味を持つように見える厳粛な儀式も、その実態は迷信や俗信がほとんどの支離滅裂なものであることを知ったことである。(p.64)
- <死>は医者が見つめ、<死体>は葬儀屋が見つめ、<死者>は愛する人が見つめ、僧侶はなるべく見ないようにして、お布施を数えているといった現状がある限り、今日の宗教に何かを期待する方が無理と言えよう。しかし、<生>にのみ力点を置いてきた今日の我々は、このままでは何か変だぞと気づき、世界に類を見ない高齢化社会を迎えて、とまどい始めているのも事実である。(p.109)
2 親鸞の説いたひかり
- 親鸞が描いた浄土のイメージは、『ひかりの世界』なのである。阿弥陀如来は『ひかり』そのものであり、親鸞はそのひかりのことを、『無碍光』と称したり『不可思議光』と称したりすることが多かった。
中略
はかりしれない、きわもない、すきとおる自在の光であり、ならびなき明るさの光であり、きよらかなよろこびにみちた知恵の光であり、ときつくすことも説明することもできない光だと言うのである。(p.71-72) - ひかりとの出遭いとは、如来との出遭いということになり、ひかりの世界を垣間見るとは、浄土を垣間見るということになってしまうが、少なくとも親鸞は、高見順が出遭った光や井村医師が出遭った光や宮沢賢治が死の淵で見た透き通った空や風の世界を体験していたのだ。
中略
人が死を受け入れようと思い立った瞬間に生じる不思議な現象こそが、親鸞を解く鍵だと思う。この不思議な現象は、理性では理解できない異次元の現象であって、実体験以外に理解の方法はない。(p.77-78) - 親鸞がこの『ひかり』を不可思議光と名づけた通り、このひかりにで出遭うと不思議な現象がおきる。まず生への執着がなくなり、その結果死への恐怖もなくなり、安らかな清らかな気持ちになり、すべてを許す気持ちになり、あらゆるものへの感謝の気持ちがあふれ出る状態となる。このひかりに出遭うと、おのずからそうなるのである。(p.78)
- 死体や霊魂や死後の世界などは、さんたんたる世界にいる人々の関心事であっても、死者にとってはすきとおった風の世界からすき透るひかりの世界へストレートに進むだけである。そこには死もないから、往生という。生きて往くのである。(p.86)
4 .ひかりを体験した悩める詩人
- 最近になって、この世に詩人というものが生まれるのは、人生の初期段階で、あの不可思議光がかかわっているのでは無いだろうか、と思うようになった。中略まず、詩人たちは一様に、ものへの執着が強くなく、そのくせ力もないのに人への思いやりや優しさばかりが目立ち、生存競争の中では何をやっても敗者となり、純粋な美しいものに憧れながら、時々異常に生に執着し愛欲や酒に溺れ、言っていることのわりにやっていることは醜く、世に疎まれながら生きていくというパターンが多い(p.92-93)
- このように、詩人たちを生む要因は、特に幼年期に実母との別離を伴う捨て子、養子、継子、孤児などいろいろあるが、大概そんな場合、両親の離婚、家業の倒産破壊、一家離散などと絡み合っており、血が澱み始めた斜陽家系の末裔などの場合も多い。(p.97)
宮沢賢治のように法華経に救いをみいだそうとした人はまだどこかに救いがある。世の中には、詩もかけない詩人が、何をやってもうまくいかない心優しい詩人たちが、たくさんいる。中途半端な『ひかり現象』の後遺症に人生を狂わされ、のたうちまわって何がなんだか分からぬうちにっ人生を終えた人も多くいることを知らねばならない。(p.98) - (宮沢)賢治は、自分自身に切れ切れの考えを統合せよという命題を投げかけている。科学は『科』の学問で、分けるという意味である。
中略
しかしこうしたきれぎればらばらの発展進歩は、人の幸福という分野とは無関係に進み、むしろ人の心を不安におとしいれてゆく結果となる。 宮沢賢治は、きれぎれの考えやあらゆるものが、一瞬『ぽかっと光る』ひとつところへ集約されてはじめて統合が可能だと思っていた。
中略
親鸞であれば、『ぽかっと光る』--そこまで分かっているなら、即ち『その道理をこころえつるのちは、この自然のことはつねにさたすべきにあらざるなり』と言って、唯その不可思議光を信じなさいと言うところである。(p.113-114)
5. 親鸞の結論
- 親鸞は菩薩とは何かということを知れば知るほど、自分にはとても出来そうにない、出来ると思った瞬間欺瞞が生じる、まして聖動門で悟りを得ようなどとはとんでもない、釈迦でさえ死ぬほどの苦行でも得られなかったのだ、法然の教えに従って『不可思議光』の到来を信じればよいのだ、南無不可思議光の普通の人間でよいのだと、人間として真実に生きる方を選んだのである。(p.94)
- 親鸞は、この不可思議光が一如の世界をおのずからもたらすと信じていたのである。そして、宇宙や星や地球上の生物などの生成と消滅を超えた永遠の存在として、また生きとし生けるもの一切に現れ救っていく不思議な存在として、この光如来に絶対の信をおいていたのである。(p.114)
- 帰命無量寿如来 とわのいのちと
南無不可思議光 ふしぎなひかりに 帰依します (p.114)
2009/02/12
2009/02/11
なぜオバマ大統領に惹かれるのか?
2008年夏ころ、黒人問題に関する演説のScriptを読み感動したのがきっかけだ。
それまでは、本も読んだことのあるヒラリー・クリントン候補に対して、ただ演説がうまいだけだという評判と、何が実績かわからない--、つまり自分から何も情報を得ていなかっただけだが--オバマ候補の人気がうなぎのぼりしていく意味がわからなかったのだが、白人のおばあさんがバス停でお金を恵んでくれとせがんだ黒人男性を怖がったエピーソード等の内容に感動し、人気の秘密の一端をつかんでからは、オバマ候補に近親感を持つようになったのだ。
Dreams from My Fatherを買ったのは、選挙の結果が出てからであったろうか?初めは英語で読んでいたのだが、やはり難しいので、日本語訳を求め、2~3日で読み終え、それまで知らなかったその生い立ちや考方の基礎となる生き方等に触れ、以来、熱心なフアンになった。
では、彼の、どこをどのようにいいと思うのか?今、何も参照せずに、思い起こせることを列挙してみよう。
- 弱いものの味方である
弱気を助け強きをくじく - 選挙戦を戦ったヒラリー候補やマケイン候補をたたえ、ブッシュ元大統領にも敬意を払う姿勢。
- 最も貧しい国で住んだこと、貧しい生活をした経験を、ばねにしている強さ。
- 彼の演説に聞き入る人々の信頼を示す顔と潤んだ目、どの人もすばらしい顔である
- 家族を大事にし、質素な生活をしてきたこと
- 文章がうまい
- 知性を感じる/難しい単語が沢山出てくる
- 話しが聞き取りやすい
- 和を強調している
- 疲弊した資本主義、世界、を変えていく可能性を感じさせる力
2008 3月の演説のVideo
2008 3月の演説のScript
- ELECTION 2008Text of Barack Obama's Philadelphia speech'I can no more disown him than I can disown the black community'
- http://www.worldnetdaily.com/index.php?fa=PAGE.view&pageId=59257
関連
2009/02/08
読書記録のtemplate
読書記録項目
- タイトル/著者/出版社
- なぜ買った/選んだか
動機,その時の状況・背景,自分とのかかわり - 概要・あらすじ/points,書評/紹介記事
- よかった点/悪かった点
- お勧めか否か
- お勧めの場合
- なぜ
- 自分との係わり合い
- 自分の何が変わったか
2009/01/31
ハウツーを適用するときの前提
ものを捨てるには、定期的に、整理するための時間をとり、要るか要らないかを判断し、要らないものを捨てろ、と書いてある。
すばらしい、そのとおりだ。でも、整理するための時間が無い。分類項目が多すぎて、収集がつかない。今要らなくても、過去1年はおろか、4~5年は参照しなかったけれども、そこにあるのは、いると思ったからであり、そのいると思った気持ちをリセットしないで、今まで保ってきたからである。
一年間参照しなかったから捨てられるのは、ほとんど関心の対象が広がらないと確信できていて、その中でそれが既に陳腐化しているか、向こう1年ぐらい経つとほとんど陳腐化すると容易に予測できるもの、である。
散らかって、ばらばらに存在していたメモを、雑記帳というタイトルのノートに、ただ貼り付けるだけでも、整理だ。領収証を、厚手の卓上ダイアリーのその週のページに分厚く重ねては貼るだけでも、大きな進歩だ。
頭の中の整理をGoogleさんに任せる
これまでに溜めた整理し切れていない情報を、自分のメールに添付してカテゴリー/ラベルをつけ、後の整理はGoogleさんにお任せするのだ。
新聞や、雑誌、ランダムに溜めた紙情報に、次のような情報を付加して登録すれば、自分の頭の中の整理ができる。これは、夢の代わりをやるようなもので、整理中に、本当の夢と同じように、果たせなかった夢中夢を浮遊することになるかも知れない。名づけて、" dreams oriented by information"
- なぜその情報を残そうと思ったのか、その情報のどこに、引かれたのか、できればその背景となる状況、それが難しければ日付情報だけでも残す。
- 後で読もうと思って残したのならば、時間がなかったか、知識を補おうと思ったか、かつての知識と最近の動向とのマッチングのためか、それとも....
ちぎったり、切り取ったりした情報は、できるだけスキャナーで読み取り、紙は捨てる。読み取る必要性を感じないものは、問題が解決したか、充分知識がついたか、記録として残す価値がなくなったかで、そのときの自分にはもはや大切な情報ではなくなったのだ。そうすることによって、物理的な整理ができる。
これまで、捨てる、、ということに関してもいろいろな方法を読んだり聞いたりして試してみたが、どうやらこれが一番よさそうに思える。