2009/03/13

遅読法

速読法ならよくきくが、遅読法はあまり耳にしない方法だろう。

遅読法

紹介されている2つの方法---自分で朗読したものを録音して聴く、外国語に翻訳する---は、自分の発音の矯正や、内容の理解・紹介のために利用したことはあっても、著者と対話して思考を読み解くための方法として、あるいは、著者を深く読むための読書法のひとつとして、使ってみたことはなかった。
だが、これはいけそうだ...

  作成済みの、応募予定の就職先への志望動機や自己PR文があった。

  
そこに書いてあった文章は、断片の寄せ集めで、非論理的な、自分にも理解できない、ましてやそれを読む人にはもっとわからないことの羅列であった。
  「あなたはそこにそのように書いているけれども、本当にそのように考え、それを望んでいるのですか?」 と、自分に問うまでもなかった。

  今日の締め切りを明日に延ばし、自分が納得できるかたちのものにまとめ直した結果、嘘の心や飾りは消え、自分の中の真実が、より具体的に表現されるように変化した。

このことを通して、応募時の競争や選考結果を意識する前に、自分と対話し、自分が真に求めていることを意識することが大事であることが分かった。
  こうして、応募文書を練り直すという本来の目的に加えて、自分の内面が自分と平衡したかたちで整理されるという、思いもよらなかったメリットが得られたのである。


  新聞の記事では、遅さの技法は、第三者である著者がいて、その作品を通して、著者との対話を行うための手法として紹介されているが、この技法は、上記のように、自分との対話にも応用できる。

  自分の考えを声に出し、文章にすることは、普段、誰もが行っていることである。
それが、日記やブログ、あるいは、作品・著作という場合があるかもしれないが、自分が作ったもの、過去のもの、として残っている場合、それを通して、自分との対話が可能になるのだ。既に作成されたものがある場合には、これは、過去の自分と現在の自分との対話である。

  遅さの技法は、現在の自分との対話においても、利用できる。自分の心を朗読し、それを聴き、自分の心を外国語に翻訳しそれを読む。言葉にできないものが言葉になり、難しく考えていたことを簡単な単語に置き換えることによって明快になる。

  ここまで書いてみて、ようやく、なんだ、これは考えることの基本であって、誰もが、いつも、行っていることではないか、ということに、遅まきながら気がついた。









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