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2009/07/17

小学校外国語活動協力員-その3

この仕事を始めて、もう1ヶ月以上、生まれ育った実家からの学校勤めに、ようやく身体も慣れてきました。

大変であったのは仕事そのものではなく、仕事の合間に、築55年の古い家に自分が生活できるような環境を順次整えながら、炊事・洗濯など、生活のための時間を毎日一定時間割かねばならないことでした。

18歳まで暮らした自分の部屋の黒ずんだビニール・タイルの拭き掃除から始め、オレンジ色に怪しく光る電球の電気スタンドを蛍光灯の明るいものに換え、本棚のとなりに積み重ねていた書類を100円ショップで仕入れたプラスチック製の書類ケースに収納し、それでも整理しきれない書類を縦にしたり横にしたり、あるいは、新しく購入したインクジェット・プリンターの上に積み重ねたりして、曲りなりにも何とか使えるようにしたものの、仕事を終えて帰ってからの食事の準備と後始末にはたっぷり1時間半はかかり、パソコンの前に坐る時は、家事に疲れて、あるいは、酩酊していて、頭が働かない状態がずっと続いたのです。

週末は、母を、ケアハウスから連れ出し、つかの間の、リハビリ支援。
いまや、孫たちの写真を見ても手助けをしない限り、それが誰であるかを認知することができないほどまで、識別能力が衰え、腰を曲げた歩行の能力も、良くて一年前の3分の1ぐらいになってしまいましたが、自分のうちに戻れば、生き生きとして、目が輝きます。

小学校の生活は、想像していた以上に楽しく、特に、子供と触れ合うときは、すがすがしい気持ちになり、エネルギーをもらって、若返ります。

週2日ずつの2つの小学校の生活は、英語の授業への参加以外に、算数の補助、生徒と一緒の給食、校外学習の付き添い、小遣いさん仕事など、おおむね似通ったことをやっていますが、140人規模の古い建物のO小学校は生徒がのびのびしており、270人規模の大きな4つの小学校が統合した開校5年目の最新の設備が整ったU学校の生徒はなんとなく硬さがあるような感じで、校風・学校の雰囲気、ルールなど、大小さまざまな違いがあり、おもしろいものだなと思います。私の仕事に影響するような違いもありますが、私にとってマイナスの作用をするようなものであっても、それも経験として明るく受け止め、楽しく、前向きに受け入れています。

O小学校では、すべてのクラスに一回は顔を出しているので、共通体験も多く、名前と顔が一致する生徒の数も増えました。

6月5日、算数の補助ということで訪れた3年生のクラスは、その朝、モンシロチョウが羽化したというので、急遽理科の授業に変更。ガラスケースに入っている蝶になったばかりのモンシロチョウの観察です。
クラスの15名は、まずは、羽化した蝶の姿を観察ノートに写生。
「先生、モンシロチョウはモンキチョウになりますか?」 「さあ、分かりませんね」というような会話をながら...
授業が終われば、卵から幼虫、さなぎと、1か月以上クラスで育てた蝶ともお別れしなければならないことなり、卵を家から持ってきた女の子がお別れの言葉を朗読することになったものの、涙にむせて、言葉になりません。私も、思わず、もらい泣きをしそうになりました。

6月10日、1年生の算数の補助。黒板には、

10は、1と?でできます
10は、2と?でできます
...
10は、9と?でできます

と書いてあり、足し算から引き算への移行のような授業の内容です。

やがて、生徒が、教科書の問題を解く時間になりました。

四角いボックスが上下2段になっており、下の段は、さらに左右2つのボックスに分けられ、
上の段には下の2つのボックスの数字の合計が書いてあります。

下の2つのボックスは、左右いずれか1つのみに数字が入っています。
空いているボックスの中に、数字を書き入れる問題です。

これが意外と難しいようで、26人のクラスの3分の1ぐらいの生徒が、四苦八苦の末、手を挙げて助けを求めます。

両手を開いて、まず、上段の合計の数字を指で作り、次に、下段の数字の数だけ、問題に合わせて左右いずれかの方向から指を折って、残りの数を数える...
ひとつの指を折ると他の指も一緒になって折れたりして、これがまた、簡単でない子がいるのです。

子供の手を取って、指折りの手助け...生徒も喜び、私も喜び、いつまでも続いてほしいひと時でした。

2009/04/22

終わりよければ...

昨日、富山県教育委員会の臨時職員(小学校英語活動協力員)の面接を受け、その場で"採用"といわれ、さてどうしようかと思案中。

ハローワークで見つけた富山県教育委員会が募集している緊急雇用対策に先週応募。9/30まで週4日、小学校で英語tの指導の補助、入善、朝日、黒部、魚津(注)の小学校2校を見つけて、独自に英語のお手伝いをする仕事。

注:いずれも、実家から車で30分以内のところ

プラス面、マイナス面、両方、検討課題がたくさんあります

今回の応募は、エレベーターのある建物を嫌う母が、”終わりよければすべてよし"などと意味深なことをいうので、週末ぐらいケアハウスから連れ出すことが可能ならばと思ってトライしてみました。9月以降も半年延長可能というのですが、いざやるとなると、決心が必要です。

英語を第一の要件として掲げる求人では、TOEIC 825点、英検準1級はこの年だと通用しなく、もう一ランク上を要求されますが、富山県の小学校の英語教育ではたりたようです。

面接の帰り、富山駅から電鉄黒部(昔の桜井駅)まで、富山地方鉄道の、40年間走り続けているような白い2両編成の特急宇奈月行きに乗りました。どの駅も、駅のホームは赤茶けた鉄さび色に彩られ、駅員も1人しかいないか無人駅の様相。平日の13:10-14:00の時間帯は、人もまばら。曇り空で、山の稜線ははっきりと見えませんでしたが、剣岳だけはどこから見てもとんがった頂と雪の沢筋をあらわにむき出していました。

富山といわれる所以の山々を、これほどじっくり、しつこく、見つめたのは初めてのような気がします。富山市内のビルの上から見た山が勇壮に見えたので、もっと近くに行けば、かつて見えなかったものが迫ってきて、何か起こるかも知れない、と半分ワクワクして出発したのですが、結局は、何も起こりませんでした。
母の近くに住むということに伴うマイナスの面を補ってくれるような新しい視点が、その電車に揺られる中から生まれて来やしないかと、期待したわけです。

面接で、こんな話しをしました。

小学校のころ、集英社の国語辞典の用語解説の下に英語の単語が載っていて、それを組み合わせて文を作り、自分は英語ができると思っていたのだが、中学に入り、英語の文と日本語の文の単語の順序が同じでないことが分かり、ショックを受けた、カルチャー・ショックであった...と。

一夜明けて

朝、黒部笑福学園から連れ出した母に、かつて母が教えてくれた、万葉集の歌を、思い出そうと思ったけど忘れてしまったという"古草"の歌を、逆解説。

上の一文を書いた後、母のいるはずの居間に戻ったがいない。どこに行ったのだろう。庭の花でも見に行ったのかしら...
ケアハウスでは、一日中部屋の中に閉じこもりがちで、老人性認知症が確実に進み、歩行力も施設に入る前の1年前と比べて各段に落ちたが、自分のうちに戻ると嬉々としている。

しばらくしてもう一度居間に戻ると、今書いたばかりの短冊を手にしている。

おもしろき野をば な焼きそ 古草に新草まじりて 生いは生ふるがに

万葉集 巻14 雑歌 3452

「終わりよければすべて良し、自分のうちが、一番いい」と母は言う。 直接ではなく、電話の向こうで。2-3週間前のこと。