2009/12/04

枕の草子の世界

本日、N君に会ってきました。

昨日か一昨日お見舞いに きたI君のお土産”阿闍梨餅(あじゃりもち)”(京都の銘菓だそうです)”がとてもおいしかったというので、そうきたかとばかり、かくし持ってきたお菓子を取り出し差し出しました。彼は、見つかったら没収されるといいながら、笑顔で、それを秘密の場所に隠しました。

芭蕉がどこをどう通ったかをそらで言えるようになりたいという彼は、訪れるといつも「奥の細道」を手にしていて、紙の色がくすんだ、よれよれの文庫本には付箋がたくさんついています。
今日は、松島の風景を描写しているところ がすばらしいと、ページをめくって見せてくれました。
じっくり味わった人ほどにその古語が連なる描写のすばらしさをイメージできるはずもありません。 替わりに、次のように返答しました。

実際にこの景色を見ながらだったら、もっとわかるだろうね。美しいものは良い。ここ黒部扇状地の景色もすばらしい。火曜日の朝、車でI小学校に向かう時の美しさには思わず涙が出るくらいだった。

今週初めは快晴の空が続き、朝晩のひんやりとして澄んだ空気は薄い青の空に抜け、刈り取りの終わったたんぼが山吹色、薄い褐色、緑に彩られ、黒部川扇状地を取り囲む山々を背にして、遠く富山湾を超えて能登半島が見えるパノラマの中に入り込んでいく時、風景を形作っているすべてが、息を呑むほどの美しさで輝いていました。

その日の宵もすばらしく、夕方5時すぎ、東の山の上に満月の前の日の月---小望月(こもちづき)というそうですが---が雲ひとつない空にボ~ンと出て明るく光リ、今朝見た景色を透き通った陰影で覆いました。

彼も病室からこの同じ空気の美しさを眺めていたようで、「『枕の草子』の世界だな」とコメントしました。

2009/11/10

黒部川原のグミ

10月から、入善町の2つの小学校、N小学校とI小学校で、小学校外国語活動協力員の勤めを開始し、子供たちとのふれあいを楽しんでおります。

二つの小学校とも、インフルエンザが入ってきて、2年、3年あたりがかかりやすいらしく、学級閉鎖や教室での給食の措置が取られています。
これから、さらに増えていくだろうということです。

10月30日、黒部市民病院からの帰り道、黒部川の権蔵橋をわたったとき、小学校のころ、授業を放り出して、先生が川原にはグミとりにつれていってくれた楽しかったことを思い出し、母と一緒に川原に下りてみました。砂利道のそばに、昔と同じようにグミが群生し、赤い実をたわわに稔らせていました。数粒をそっとむしりとってほおばってみると、ちょっぴり苦くて甘い味がします。昔のままの味です。もっとおいしいのはないかと、グミの木をわたり歩いて、おいしいものは手のひらいっぱいに握りとり、その味、色を、楽しみました。午後2時過ぎ、白馬岳を代表とする後立山連峰の稜線と、そこにつながる紅葉を抱えた美しい秋の山々を望みながら、老母とグミ狩りを楽しむ至福のひと時でした。

11月3日、文化の日、N君に、グミのお土産を持っていきました。彼は、早速1~2粒つまんで口の中へ...

5日前に"至福"と思ったとき、N君に、高校の帰り道に一緒に道草をした彼に、このグミを持っていってやりたいと思ったことが、やっと叶いました。

その日の朝、NHKの番組で、介護教室の先生が、介護のこころについて、「何かをしてあげる」のではなく「自分がしてあげたいことしなさい」と説いていました。その若い女性の先生は、わがままな母の介護をした時、やさしい気持ちになれなかった自分が、父の母に対する態度を見て、気持ちの大切さに気がつき、それによって自分(のこころ)が変わると、お母さんも変わったというのです。

この番組を見なければ、N君にグミを持っていってあげたいと思った気持ちが、本当に実現したかどうかわかりません。
11月3日は、数日前の冬型の天気も落ち着いて、川原は再び温かい陽気でした。山々は、5日前と同じように美しい稜線をくっきり見せていました。白馬岳がすっかり雪をかぶったところだけが、前と違っているようでした。

丸川病院で、ロコモティブシンドローム(彼は、この番組を見て、腰痛など、これが自分の持っていた障害をぴったり解説している、いい番組であったと力説)などの話しをしているときに、N君の妹さん夫婦がお見舞いにやってきて、二人とも珍しそうにグミを2~3粒手に取りほおばってみせました。食べると、翌日、便秘する、などと言いながら...

2009/09/15

リハビリテーションの効果

友の回復を友に告げるメールの抜粋
4時間目の算数の授業の補助が終わってから急いでメールを書いたものの、結局、「いただきます!」に遅れてしまいました。

N君のリハビリテーションは順調で、ベッドの上に腰掛けて30分以上しゃべれるようにもなりました。
しかし、ひざと、ひじに、傷跡とかさぶたがあって、先週あたりのようですが、夜、部屋の中で倒れたそうです。幸い、同室の方が自分用の緊急ボタンを押して助けを求め、大事に至らなかったとのこと。
もっと回復して、仕事にも復帰できた場合、松戸駅のラッシュ・アワーに階段を上ることは恐怖である、とも言っていました。

泊、丸川病院2階の病室窓から南を眺めると、左手には、後ろ立山連峰の裾野と思しき小高い山が連なり、裾にもつ宮崎城址を包む、もこもこした右上がりの緑の山々を見ながら、彼は、上杉謙信がこの山を超えようとしてのだ、というように、思いを馳せるのだそうです。

私は、週二回は、若栗城址の間を通り抜けてO小学校に通っていますが、思いを馳せるべく情報の蓄積が不足しているので、感慨に浸ることはありませんが、彼が言うところの近くの有名な寺らしき長安寺もすぐそばであり、黒部市の小学校の期限が切れる9月末までには、じっくり訪れて探索してみようと思います。

丸川病院の南には、窓からの山の眺望をさえぎる坂東病院がすぐ近くに)あり(50mぐらい?)、そこには高校同級生のT氏が医師として勤めているという情報もS君から聞きました。

朝日町の町長は、魚津という人で、同姓の魚津という後輩が魚津高校におり、かつて京都で交友があったが、......云々かんぬん