2010/09/01

田舎と都会

富山と千葉を往復するときにいつも感じるのは、人のたたずまいの密度の違いです。

8月31日、友を見舞った後、松戸からの東京への常磐線の沿線は、住む平面の飽和状態が徐々に垂直の方向にも飽和度を増し、幾重にも重なる屋根や屋上のはるか向こうに建設中の東京スカイツリーが見えはじめ、だんだん大きく高く見えてきました。その間の視界には、ビル建設用のクレーンがニョキニョキ伸びていて、ますます密度を濃くしようとしています。

一方、入善・黒部から越後湯沢を経て新幹線で関東平野に出るまでは、緑の間にポツンポツンと人が住んでいるところがあるだけ。
おさな馴染みは、子供が都会に出て行ってしまった今、田舎のこの家をどうしようかと、問います。

入善の明文堂では、新聞の書評で見た本はほどんど見つからないが、丸の内丸善に行けば、山積みになっているその実物を手にとって、パラパラめくってみることができる....

混雑した東京を避けて設けた外房線沿線の我が家も、入善と比較すれば都会。人工の町です。

入善の実家は、自然の道(というよりは、かつての道)を分断して、農業の都合に合わせて整地された人工の自然です。

人工の住まいは、何も手をかけないで放っておくと、草木はのび放題となり、家は朽ちてしまいます。
人工を育て保つには、強い意志が求められます。

人工が生き残って文化になります。

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